■『邪馬台国の秘密』(高木彬光 光文社文庫:1973年)
小説界のみならず考古学界にまで賛否両論の旋風を巻き起こした、邪馬台国ミステリ小説の古典であり基本。殺人事件などは発生せず、名探偵神津恭介が入院中の暇つぶしとして友人の推理作家と邪馬台国の比定地に挑む。
魏志倭人伝の記載事項を「一字も訂正しない」というルール設定を敷き、「男子みな黥面分身す」(顔に入れ墨する)の一文から、邪馬台国と古代大和王朝の連続性について論考を述べるくだりは実に新鮮だ。
興奮しながら読み進めると、いきなり実在する女流推理作家の大御所「夏樹静子氏」と「玄界灘の鯛」という言葉から真相がひらめき、邪馬台国の秘密を解き明かす展開に呆然。
3世紀当時の海面からの標高点や朝鮮半島と九州の間の風向きや強さから科学的にアプローチし、後世の歴史学者を1000年も悩ませ続けた「水行十日、陸行一月」の謎を「どこにも無理はなく」「ごく自然に」解明する。
高木氏は、邪馬台国は●●県●●市一帯で、●●八幡宮に眠る石棺こそ…、としている。著者あとがきに「魏志倭人伝の原文の一字の修正もほどこさず、‘中学生’にもわかる明快、科学的な論理でこの難題を解明した全人は皆無(中略)謎の女王国はこの地点以外には求め得られない」という溢れんばかりの自信を披露。中学を遥か昔に卒業した私の空気頭ではかなり難しかったが、なるほどと唸らされる個所も多い。
高木氏の歴史の謎解明作品では、なぜ北海道で食べるジンギスカンは旨いのか、ではなく源義経=チンギス・ハーン説に真面目に挑んだ『成吉思汗の秘密』(光文社文庫)、『古代天皇の秘密』(角川文庫)がある。3冊とも読破したが、個人的には『成吉思汗の秘密』が最も読みやすく、分かりやすい傑作である。
■『邪馬台国はどこですか』(鯨統一郎 創元推理文庫:1998年)
高木氏『邪馬台国の秘密』新装版に巻末エッセイを寄稿しているのが鯨氏。氏のデビュー作であり、バーミステリの最高峰である大傑作の短編集。高木氏作品と同じく、現場をフィールドワークせず離れた場所(病院やバー)で資料などを駆使して解決するアームチェア・ディティクティブ(安楽椅子探偵)もの。
他には、ブッダは本当に悟りを開いたのか、聖徳太子の正体とは、明智光秀はなぜ信長に謀反を起こしたか、明治維新の黒幕とその手法とは、死後蘇ったとされるイエスの奇跡とは。
魏志倭人伝を高木氏と同じく原文通り読み、2000年前に中国人の日本の地理感に沿って説明。邪馬台国の比定地は、なんと●●県●●。腰が抜けそうになるも、異様なまでの説得力だ。最新刊『新・日本の七不思議』(創元推理文庫)にて、さらに科学的アプローチも交えて強固に説を補完している。〔次夜その六〕
2011年06月22日
2011年06月21日
第258夜:卑弥呼は滋賀県守山市出身【Book】(その四)
そもそも疑問に思ったことがある。近江と言えば滋賀県であり、近畿地方、つまり畿内ではないのかと。今回知ったことは、畿内説の畿内とは大和、和泉、河内、摂津、山城の5国を指し、近江や但馬、紀伊、伊勢は含まれていないということ。ゆえに九州説でも畿内説でもない。
文明が発祥する条件に、豊かな大河の存在が挙げられる。メソポタミア文明がチグリス・ユーフラテス川、エジプト文明がナイル川、黄河文明は黄河、というように。私は驚愕した。日本屈指の盆地である近江平野を流れる野洲川が、肥沃な文明を生んでいたそうだ。伊勢遺跡を有する守山は、国生みの地だったのだ。
残念ながら邪馬台国近江守山説、トンデモ系扱いで学会からも黙殺され気味だ。私は今、邪馬台国は守山にあると信じて疑わないが、物的証拠を今すぐ出せと言われれば肩をすぼめるしかない。しかし先の2冊を熟読すると、卑弥呼が生まれた、または青春を過ごした地は守山であることは間違いなさそうだ。少々強引だが、邪馬台国はどこにあろうとも、卑弥呼は守山出身としても差し支えないだろう。
現在の日本の首都は東京で、政務を司るのは永田町や霞が関。1800年前の邪馬台国時代は、小国が乱立して覇権を競っていた(倭国大乱)。大乱が終息した後、各国(今の県や市?)のリーダー中から総理大臣を決めていたのだろう。
邪馬台国という国の首都は大和(巻向のあたり)としても、何も総理大臣(卑弥呼)がそこの出自である必要はない。守山出身の卑弥呼が総理大臣に推挙され、奈良で執務していたと考えたい。これなら、たとえ邪馬台国がどこにあろうが、卑弥呼出自の地は守山となる。ホタルが舞う水の都・守山で青春を謳歌した卑弥呼。何とも言えない陽性のロマンが横溢する。
邪馬台国守山説、または卑弥呼守山出身説をさらに強固にすべく、これを機に邪馬台国関連書籍を読み散らかすことにした。さっそくアマゾンで邪馬台国と検索してみた。……。活字書籍に絞るだけで、軽く4000以上ヒットした。これに学術論文や関連メディアも含めると、恐ろしい数となる。
邪馬台国関連の書籍は、邪馬台国はどこだ、というシンプル極まりない魅力的な謎と反比例して、極めて読んでいて理解が難しい。1800年ほど前の中国人が書いた暗号としか思えない漢文の解読や、あまりにも科学的な考古学アプローチに心が折れてしまった素人マニア(私ですが)も少なくないだろう。
ゆえに、邪馬台国をテーマにした小説、それもミステリーに絞った。学者ではなく推理作家独特のアプローチが新鮮である上、純粋にエンタテインメントとして楽しめそうだ。数ある作品から、私は数冊を読破した。読むたびに、驚きと興奮に満ち溢れた。〔次夜その五〕
文明が発祥する条件に、豊かな大河の存在が挙げられる。メソポタミア文明がチグリス・ユーフラテス川、エジプト文明がナイル川、黄河文明は黄河、というように。私は驚愕した。日本屈指の盆地である近江平野を流れる野洲川が、肥沃な文明を生んでいたそうだ。伊勢遺跡を有する守山は、国生みの地だったのだ。
残念ながら邪馬台国近江守山説、トンデモ系扱いで学会からも黙殺され気味だ。私は今、邪馬台国は守山にあると信じて疑わないが、物的証拠を今すぐ出せと言われれば肩をすぼめるしかない。しかし先の2冊を熟読すると、卑弥呼が生まれた、または青春を過ごした地は守山であることは間違いなさそうだ。少々強引だが、邪馬台国はどこにあろうとも、卑弥呼は守山出身としても差し支えないだろう。
現在の日本の首都は東京で、政務を司るのは永田町や霞が関。1800年前の邪馬台国時代は、小国が乱立して覇権を競っていた(倭国大乱)。大乱が終息した後、各国(今の県や市?)のリーダー中から総理大臣を決めていたのだろう。
邪馬台国という国の首都は大和(巻向のあたり)としても、何も総理大臣(卑弥呼)がそこの出自である必要はない。守山出身の卑弥呼が総理大臣に推挙され、奈良で執務していたと考えたい。これなら、たとえ邪馬台国がどこにあろうが、卑弥呼出自の地は守山となる。ホタルが舞う水の都・守山で青春を謳歌した卑弥呼。何とも言えない陽性のロマンが横溢する。
邪馬台国守山説、または卑弥呼守山出身説をさらに強固にすべく、これを機に邪馬台国関連書籍を読み散らかすことにした。さっそくアマゾンで邪馬台国と検索してみた。……。活字書籍に絞るだけで、軽く4000以上ヒットした。これに学術論文や関連メディアも含めると、恐ろしい数となる。
邪馬台国関連の書籍は、邪馬台国はどこだ、というシンプル極まりない魅力的な謎と反比例して、極めて読んでいて理解が難しい。1800年ほど前の中国人が書いた暗号としか思えない漢文の解読や、あまりにも科学的な考古学アプローチに心が折れてしまった素人マニア(私ですが)も少なくないだろう。
ゆえに、邪馬台国をテーマにした小説、それもミステリーに絞った。学者ではなく推理作家独特のアプローチが新鮮である上、純粋にエンタテインメントとして楽しめそうだ。数ある作品から、私は数冊を読破した。読むたびに、驚きと興奮に満ち溢れた。〔次夜その五〕
2011年06月20日
第257夜:卑弥呼は滋賀県守山市出身【Book】(その三)
私は今まで、邪馬台国は古墳の発掘が許可されない限り、永遠に謎に包まれたままだろうと思っていた。解決されない日本最大の謎として、ロマンが残されているのも悪くない。
前置きが長くなったが、私の固定観念を根底から覆す2冊の、それもメインタイトル全く同じの2冊が2010年初春、わずか20日間の差で発売された。それが、「邪馬台国近江説」である。
■『邪馬台国近江説―古代近江の点と線』(澤井良介 幻冬舎ルネッサンス)2010年1月20日
謎の多い第26代継体天皇と近江との繋がりや、銅鐸に関する論考が非常に詳しい。詳細はぜひご精読頂きたいので詳細には触れないが、卑弥呼が生まれたのは丹後地方(北近畿)。そして卑弥呼は近江南部(守山)を収めた後、連合国の女王として共立された。その際、近江で連合国を統治せずに大和へ基盤を移したそうだ。
弥生時代の守山は日本最大の前方後円墳溝墓の集積地で、前方後円墳の前段階の前方後方墳誕生は近江だそうだ。近江式土器は南関東から北九州、北陸、山陰と全国に分布。再注目の巻向遺跡からも近江式土器が出土している。守山は弥生時代における最先端文化の最大発信基地であり、邪馬台国の前身といえる「原邪馬台国」は守山の「伊勢遺跡」。
私は著書の澤井先生にお会いし、酒席をともにさせていただく光栄に浴した。極めて柔軟かつ軸がぶれない信念を持たれたステキな先生だった。
■『邪馬台国近江説―纏向遺跡「箸墓=卑弥呼の墓」説への疑問−』(後藤聡一 サンライズ出版)2010年2月11日。
澤井先生と同じく、学者ではなく在野の研究者がドキュメンタリー風の味づけで邪馬台国の近江説を理論づける。こちらも合わせてぜひご一読いただきたく、軽く触れるのみとする。
思いっきり簡単に要約すると、九州説はほとんど触れず、畿内説の箸墓を否定し、守山を邪馬台国とする。その根拠は守山市と栗東市にまたがる伊勢遺跡である。
伊勢遺跡群は桜館風建物を持つ都市計画が施された弥生時代屈指の遺跡群で、二棟連立祭殿は伊勢神宮の式年遷宮の起源と評価されている。そして、守山市伊勢町が、伊勢市および天下の伊勢神宮の語源であり、ルーツであるという驚愕の真実に付きあたる。「特殊性」を除いて、弥生時代の遺跡で伊勢遺跡をしのぐ規模の遺跡はないそうだ。
伊勢遺跡で進められている宅地開発への警鐘や遺跡保存に関して、極めて分かりやすく胸を打つ。邪馬台国を商店街に、卑弥呼を商店街会長に見立てた例え話も素晴らしい。
2冊を比較して読むと、ともに「伊勢遺跡」を邪馬台国、または極めて関係の深い遺跡であると指摘している。ところがこの伊勢遺跡、史跡指定されておらず、10%も発掘されていないそうだ。〔次夜その四〕
前置きが長くなったが、私の固定観念を根底から覆す2冊の、それもメインタイトル全く同じの2冊が2010年初春、わずか20日間の差で発売された。それが、「邪馬台国近江説」である。
■『邪馬台国近江説―古代近江の点と線』(澤井良介 幻冬舎ルネッサンス)2010年1月20日
謎の多い第26代継体天皇と近江との繋がりや、銅鐸に関する論考が非常に詳しい。詳細はぜひご精読頂きたいので詳細には触れないが、卑弥呼が生まれたのは丹後地方(北近畿)。そして卑弥呼は近江南部(守山)を収めた後、連合国の女王として共立された。その際、近江で連合国を統治せずに大和へ基盤を移したそうだ。
弥生時代の守山は日本最大の前方後円墳溝墓の集積地で、前方後円墳の前段階の前方後方墳誕生は近江だそうだ。近江式土器は南関東から北九州、北陸、山陰と全国に分布。再注目の巻向遺跡からも近江式土器が出土している。守山は弥生時代における最先端文化の最大発信基地であり、邪馬台国の前身といえる「原邪馬台国」は守山の「伊勢遺跡」。
私は著書の澤井先生にお会いし、酒席をともにさせていただく光栄に浴した。極めて柔軟かつ軸がぶれない信念を持たれたステキな先生だった。
■『邪馬台国近江説―纏向遺跡「箸墓=卑弥呼の墓」説への疑問−』(後藤聡一 サンライズ出版)2010年2月11日。
澤井先生と同じく、学者ではなく在野の研究者がドキュメンタリー風の味づけで邪馬台国の近江説を理論づける。こちらも合わせてぜひご一読いただきたく、軽く触れるのみとする。
思いっきり簡単に要約すると、九州説はほとんど触れず、畿内説の箸墓を否定し、守山を邪馬台国とする。その根拠は守山市と栗東市にまたがる伊勢遺跡である。
伊勢遺跡群は桜館風建物を持つ都市計画が施された弥生時代屈指の遺跡群で、二棟連立祭殿は伊勢神宮の式年遷宮の起源と評価されている。そして、守山市伊勢町が、伊勢市および天下の伊勢神宮の語源であり、ルーツであるという驚愕の真実に付きあたる。「特殊性」を除いて、弥生時代の遺跡で伊勢遺跡をしのぐ規模の遺跡はないそうだ。
伊勢遺跡で進められている宅地開発への警鐘や遺跡保存に関して、極めて分かりやすく胸を打つ。邪馬台国を商店街に、卑弥呼を商店街会長に見立てた例え話も素晴らしい。
2冊を比較して読むと、ともに「伊勢遺跡」を邪馬台国、または極めて関係の深い遺跡であると指摘している。ところがこの伊勢遺跡、史跡指定されておらず、10%も発掘されていないそうだ。〔次夜その四〕

