2015年03月01日

第1161夜:まちづくり屋の悲しい性【Cinema】

 『六月燈の三姉妹』。鹿児島県のとある商店街にある和菓子屋を舞台にした、美人三姉妹とその両親、主人公の次女と離婚調停中のダンナらが織りなす、家族再生のハートウォーミングな物語である。テーマは重そうだが、コメディタッチなのでテンポも良く退屈せずに楽しめる。

 ある祝日の午後。午前中に自宅でパソコン猿打し、午後から急ぎ仕事なくフリーに。神戸湊川公園の2本立て名画座<パルシネマしんこうえん>に足を運んだ。

 2本立ての構成は時代劇エンターテインメント『超高速!参勤交代』と、前述の『六月燈の三姉妹』。`参勤交代´は前評判通りの期待以上の内容。一方、`三姉妹´は予備知識皆無で、期待感もゼロ。2本立ての併映ゆえにもったいないという理由だけの消極的鑑賞だった。ところがこれが思わぬ拾いモノ。これだから2本立て映画鑑賞はやめられない。

 家族の絆と再生がメインテーマと思われる『六月燈の三姉妹』のもう一つの裏テーマが「商店街活性化」。衰退一途の商店街ゆえに、後継者不足に悩まされている。嫁を迎えることもままならぬシーンが妙に丁寧に描かれている。三姉妹のオヤジ(和菓子屋)が「ウチの店が商店街を引っ張っていかねばならない(鹿児島弁で)」と熱く宣言している場面も見逃せない。

 地元神社の「六月燈」という祭りに向け、商売そっちのけの様相で昼夜問わず準備に勤しむ商店街会長と若手商業者たち。ある夜、一日の準備を終えた会長と若手らが商店街のスナックへ。そこで、ベテラン・井上J氏演じる商店街会長が若手に向かって商店街活性化のための起爆剤となる爆弾提案をぶちかます。それが何と「アーケード新築」だった。

 私は思わず目を見開き、理解に苦しんだ。会長の爆弾発言の後、わずかな拍手が起きた。おいおい、拍手している場合じゃないだろうと思わず声に出してツッコミそうになった時、若手から自己負担捻出やランニングコスト面から異論百出。ムキになった会長が「10分の9の補助金がもらえる」と言い返すシーンも。

 「10分の9の補助?アーケード新築がそもそも補助対象になり得ない傾向が主流であるが、果たしてこんな補助メニューがあっただろうか?昔のTMO基金か?それとも、鹿児島県単独の制度なのか?……」。こんなことを思い浮かべてしまい、話の本筋に集中できない。

 いったんこの議論はお開きになり、物語は後半へ。すると、同じように会長と若手がスナックで懇親しているシーンが。会長は何と「アーケードは諦めた。その代わり、入り口に大きなアーチをかけてはどうか」と懲りずに提案。道路占用使用料はともかく、思わずその方がまだ良いと首肯してしまった。これほど細かく商店街のハード事業に触れた映画を私は知らない。

 地味なテーマだが話そのものは面白く、見終わった後は実にいい気分になった。しかし、本筋以上に裏テーマが気になってしまい、映画館を出るとほとんど商店街活性化のための議論しーンしか思い出せない。まちづくり屋の悲しい性(サガ)である。

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地味な作品だが意外な傑作。
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2014年03月12日

第926夜:70年後の中年A【Cinema】(後編)

 私もブームに乗るべくファミコンを買ってもらったが、それほどハマらなかった。ゲームセンターも楽しくなかった。小学校高学年の放課後は駄菓子屋と公園や学校グラウンドを徘徊し、中学校の放課後は部活かHが素潜りしていた須磨の海で釣りばかりしていた。

 実家近くの高校を卒業後、浪人生活を経て大学へ。かなり遠方だったため、下宿生活を始めた。初めて飛行機に乗ったのも、受験だった。少年Hの時代から50年後、少年Aが青年A(アヅマ20歳)になった1995年1月17日、阪神・淡路大震災が私の人生を一変した。

 私は下宿先のTVで崩れた神戸の、長田の街並みをヘリコプターからの映像で観た。燃え盛る私の実家も映し出された。何もできない無力感。絶望した。第2次世界大戦の空襲で焦土とかした商店街は、その50年後、今度は大地震によって破壊され、焼けつくされた。

 携帯もない時代。奇跡的に安否連絡がかなり後だったが両親と取れた。私の家族親戚は無事だったが、市場や商店街の商店主や家族、ご近所が大勢亡くなられた。私の家族にしても、生きていたのが不思議なぐらいだった。少年Hの時代、戦災復興仮設住宅として使われた我が母校・駒ヶ林中学校は、50年後に再び避難所となった。

 ボランティア元年と言われた1995年だが、私が神戸に帰っても、避難民が一人増えるだけ。仕送りが止まり、学費どころか生活費も賄えぬ。大学中退も覚悟しつつひとまず500人が文字通りの共同生活を営む大学寮へ。震災と全く関係のない地で避難所のような生活を営み始めた。

 神戸から遥か彼方の私が通った大学は、1万人ほど在学していたかもしれない。事務室に実家の罹災証明書を持っていくと、ドン引きされた。店舗付住宅が全壊全焼という、仕事も家も無くしたトリプルAは、私だけだったようなのだ。

 ありがたいことに学費を免除して頂いた。ただしその条件が留年禁止。留学や遊ぶに勤しむ友人たちと比べ、私は単位取得と日々の生活の糧を稼ぐべくバイトに明け暮れた。

 傍から見れば20年前でも珍しい苦学生だったかもしれないが、自分で苦労していると感じたことはなかった。神戸で生活する私の両親や妹らの苦労に比べたら、ここは天国。大学や寮の友人に囲まれ、本当に楽しく幸せだった。私の境遇を知るバイト先の方々にも本当に助けて頂いた。地震直後は確かに辛い生活だったが、軌道に乗れば人並みに遊ぶこともできた。

 無事卒業後、紆余曲折あって神戸新長田で復興まちづくりに11年間携わった。アラフォー中年になった私は今、東日本大震災の復興に携わっている。決して自分から望んだことではないのだが、被災商業地の復旧復興がいつの間にかライフワークになってしまった。

 20歳以下の少年A時代は平凡平和だったが、20歳を超えた青年A時代から中年Aに至る2014年の今まで、我ながら波乱で数奇な人生だと感じる。ここには書けぬことも山とある。

 権利などなく義務だけが強要されていた少年Hの時代から70年後。権利のみが激しく主張され義務がないがしろにされている2014年現在。せめて少年Hの時代から100年後には、権利と義務が絶妙のバランスを保つ民度の高い世界が到来してほしい。震災を含めた自然災害を防ぐことはできないが、戦争を含めた人災を防ぐことができる世界が到来してほしい。

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【ONLY POWER,NO BRAIN!】
昨夜は久々に神戸三宮呑み。<のんち●ん>で唐揚や手羽先を満喫。ここはア●ヒの黒生&エクストラコールドが呑めるから実に重宝。東日本大震災一色の3月11日だったが、4年目に突入した今日以降も日本中で応援し続けたいと想う水曜の朝。皆さま、今夜もご安全に。
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2014年03月11日

第925夜:70年後の中年A【Cinema】(前編)

 『少年H』。私が大学生の頃(20年ほど前)大ベストセラーになった神戸市長田区が舞台の私小説(たぶん)である。「H」はスケベな少年いう意味ではなく、主人公のイニシャルだ。

 原作出版から時を経た2013年、豪華キャスト&巨匠監督によって映画化された。最初は全く興味が沸かなかったが、ふと観る機会があった。

 時代は太平洋戦争が近付く1941年から始まる。長田区本庄町あたりの商店街で仕立洋服店を営む主人公の父、母、妹と4人で暮らすクリスチャン一家が中心の物語。国鉄(JR)鷹取駅も頻繁に出てくるが、この時代はまた新長田駅は存在しなかったことを思い出す。

 1974年生まれの私はこの時代のことは何も分からないが、セットを見てもテーマパークにしか見えなかった。しかし、地元人にしか分からぬディテールの細かさに驚愕。何となく再現しているのではなく、看板やさり気ない名札にしても、私のような長田区南部出身者にしか気づかない固有名詞が連発している。思わず声が出そうになった。

 主人公が通うのは長楽小学校。私は隣の二葉小学校出身だが、数年前に統合。厳密には異なるが、母校といって差し支えない。全校朝礼で二宮金次郎氏の銅像が弾丸の弾になるため、校長以下教職員全校生徒が万歳三唱で銅像を送り出すシーンがある。私は、笑えなかった。

 商店街の商店主たちが警察や軍隊に逮捕、拷問されるシーンは正視に堪えなかった。きっかけは、地元住民らの密告や尾びれ背びれのついた噂話。噂好きで人の心の奥の奥まで土足で踏み込む長田区民の気質まで再現を試みたのだろうか。出演者はほぼ全員関西弁を話しているが、厳密には思いっきり神戸弁だったことにも芸の細かさを感じた。

 1945年3月、神戸大空襲。私が生まれる30年ほど前の商店街が爆撃され、崩壊していくシーンはただただ、辛かった。私の母校である駒ヶ林中学校が、災害復興仮設住宅ならぬ戦災者住宅(しかも抽選方式)に使われていたことなど、初めて映画で知った。

 敗戦直後の闇市シーンは活気とエネルギーに溢れている。私の祖父は戦後、神戸新長田の市場(丸は市場)で漬物屋を始めた。祖父は20年以上前に亡くなったが、出征していた祖父もこのような世界を生き抜いたのだろう。何とも言えない感慨があった。

 少年Hの時代から30年後の1974年、少年A(アヅマ)が生まれた。私は10歳以下の記憶がほぼ皆無で、Hの時代から40年後の1980年代後半以降しか覚えていない。Hが通った小学校、H一家が戦災復興仮設住宅として住んでいた中学校を卒業。Hが遊んだ海や山や商店街で育った少年A(アヅマ)。祖父母両親のおかげで何一つ不自由なく、楽しく過ごした。

 私が10歳ぐらいの頃、革命が起きた。ファミコンの発売である。これで一気に遊びのスタイルが激変したように思われる。外で遊ばず家でピコピコ。腕っ節の強いガキ大将よりもファミコンと豊富なソフトを有するブルジョアな文科系ガキの時代が訪れた。〔次夜後編〕

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【ONLY POWER,NO BRAIN!】
三陸常磐大津波(コピーライトマーク宮古S香氏)から3年。阪神、新潟中越といった10年に一度クラスだけでなく、大雪、台風、洪水、土砂崩れなどすべてを無に帰する自然災害は毎年のように頻繁。そして、先日の大阪十三の店舗密集地を大火が襲った人災。日本の商業地で災害断トツ1位は火災のはず。市有地でない限り自主再建を余儀なくされるので、地震保険以上に見舞金や復旧費だけでなく営業補償や火元になってしまった場合の類焼店舗への補償などもフルマックスの店舗火災保険加入をオススメしたい3.11の朝。皆さま、火元にはくれぐれもご用心を。今夜もご安全に。
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