バラの街。広島と岡山の間に位置する備後地方最大の都市・福山の愛称である。
1998年の半年間、私は福山市民として製鉄所で働いていた。平日は朝5時に職場に入り、退社は夜中2時ごろ。土日は朝7時で夜は22時だったか。後半3カ月は金曜も休みになった。経費(人件費)削減のためという。そんなことは全く関係なく、半年間で工場に行かなかったのは1日だけ。たしか、急な尿管結石に苦しんだ日だ。
これだけ書くと20世紀にはなかった概念「Bラック企業」かもしれない。たまに早く上がれそうになると(それでも22時だが)「お前ヒマそうだな」と業務を追加されそうになる。先輩方も残っておりなかなか帰れない、帰らない。郊外の山の上にある寮に住んでいたが、朝メシも昼メシも寮の食堂で喰った(喰えた)記憶がない。それでもブクブクと太っていった。
職場の名誉のためフォローすると、ちなみにこれは強制でなく(一応ですが)、私の仕事が終わらないから。より正確には、先輩方では楽勝な業務が新人で知識経験のない私には時間をかけるしかなかったから。チームは違えど同じ室の同期も似たようなものだった。
残業代などつかなかった。給料を工場滞在時間で割ると、時給100円以下だった。缶コーヒー1本買うこともためらわれる。秋から不況か何かで出勤が週5日から4日になり、労働時間は変わらないが1日減った分、給料もたしか減らされた記憶がある。
1999年3月に神戸新長田の震災復興まちづくり会社に転職した際、9時半に出勤で商店街の会議が無ければ18時に退社し上司らと飲みに行けることに打ち震えた。
すぐに大きなイベントの担当になり土日も出勤するようになったが、苦でも何でもなくただ楽しかった。クレーム対応ですらヨシッと異様に前向きに気合が入った。
福山時代の半年間は、私の仕事に対するスタイルに大きな影響を与えた。もちろん、良い方向に。さすがに今は福山の製鉄所も令和基準に適応しているだろう。たぶん。
半年間で福山市内で呑んだ記憶は2、3回しかない。たまに強引に仕事を切り上げた平日や数時間の余裕が生まれた土日は、街なかの映画館でスクリーンに没頭した記憶しか残っていない。ラーメンも啜ったはずだが1杯も記憶にない。
当時はシネコンが一般的でない時代。それでも街なかに5、6スクリーンあったのではないか。上映された映画はすべて観たように思う。テレビやビデオも部屋になく、24時間工場から電話がかかってくるのが嫌で携帯を解約した私にとって、スクリーンで2〜3時間没頭し現実逃避することが唯一のストレス解消だった。
映画を観るようになったのは、福山に住む1年ほど前の大学4年生の時。映画というより「映画館」が好き。2000年代初頭は年間100本ほど「映画館」で観た。福山から神戸に戻り、やはり映画館の数の多さは都市規模に比例すると痛感した。〔次夜中編〕
片側アーケードになんとなく前世紀の残り香が(2025年9月撮影)。
前世紀から残っているっぽい路地も令和ではシュールで斬新(2025年9月撮影)。

