2024年09月29日

第3510夜:アヅマ流かわちや兵法【会津若松(福島)】(後編)

 フリーになり14年目(2023年12月時点)。全国各地でアヅマ流兵法を磨いてきた。総菜・弁当コーナーの陣へ。

 どれも旨そうである。大充実である。手作りチャーシューに心惹かれぬなら、人ではない。

 気合のこもったPOPと占拠スペースを誇り、明らかに看板メニューっぽいのが「みっちゃんの愛情たっぷり弁当」。巨大な出汁巻玉子が2ヶ。ミンチカツや唐揚、ひじき、焼魚、会津産米…。迷わず籠に入れた。店内はこの「みっちゃんシリーズ」がいくつかある。

 POP曰く、みっちゃんとは「瀞流の宿かわち先代女将」。私が柳津に泊る際は100%この宿。毎回最高のおもてなしを堪能している。役得を噛みしめている。私がお世話になっているのは2代目女将だったのか。

 ソースカツ丼は会津名物。若松はそのまんまだが、柳津はご飯とカツの間に薄焼き卵が敷かれている。若松版は税抜288円、柳津版は328円。この場所は若松だが、本拠地は柳津。「会津柳津のソースカツ丼」もカゴに入れた。

 おむすびが気になる。豊富な具のバリエーションから「青唐肉みそおにぎり」「元気が出るにんにくみそおにぎり」各税抜138円もカゴに。しかし、こんなに食べられるのか…。

 ふと、アヅマ流兵法が解を弾いた。みっちゃん愛情幕の内を遅い朝食に、柳津ソースカツ丼を車内の遅い昼飯に、みそおにぎりは春日部で呑んだ後の深夜の夜食に。

 高揚してきた。脳内陣太鼓のスピードと音量が上がった。

 西若松駅へ。野岩線の会津田島行きを50分以上待たねばならぬ。寒いので、駅ホームの暖房の効いた待合小屋へ。50分前ゆえか、誰もいない。独占である。

 みっちゃんを取りだす。朝5時起きゆえ空腹。ガツガツ喰い進める。みっちゃんの愛情がたっぷり体内に注ぎ込まれた。

 会津田島で特急に乗り換え、川治湯元を越えたあたりで「会津柳津のソースカツ丼」。零れる笑みを押さえられず喰らいつく。

 これまで食べてきたスーパーのソースカツ丼系ではダントツ1位。玉子が無双のアクセント。量もたっぷり。カツも甘みがありジューシー。これで税抜328円は安すぎる。

 その夜。春日部でたっぷりと鯨飲した後、風呂に入って缶チューハイをカシュッ。かわちやの2種類の味噌おにぎりを頬張る。旨すぎて泣ける。会津地酒のカップを買うことを失念してしまい後悔が押し寄せる。

 おにぎりの勢いを保持したまま、会津田島駅で特急待ち時間30分の間にうっかり捕獲してしまった「ソースカツバーガー」もかぶりつく。旨すぎる。ただし、このバーガーだけはアヅマ流かわちや兵法から逸脱した予定外の奇襲だったけど。

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愛情たっぷり(無断撮影)。

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玉子なしの「若松」とありの「柳津」(無断撮影)

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西若松駅ホーム。

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愛情たっぷり弁当。

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安くてボリューム満点で冷えても旨し。

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深夜に春日部の定宿にて夜食。

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会津田島駅で捕獲した予期せぬ戦利品。

posted by machi at 05:44| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月28日

第3509夜:アヅマ流かわちや兵法【会津若松(福島)】(前編)

 かわちや。会津柳津最強企業グループ「かわち」が展開する食品スーパーである。その若松店が西若松駅から徒歩10分ほどに位置。ドラッグストア「カワチ」と混同してはならぬ。

 14年間お世話になり続けた鰹、店街支援センターミッションが終わった翌朝。夜も明けぬ5時から会津若松の定宿でPC猿打。10時チェックアウト。さすがに腹が減ってきた。

 この日の朝昼兼用メシは決めていた。定宿の絶品朝食でも、朝7時から空いている定宿から徒歩10分弱の絶品ラーメン店でもない。スーパー「かわちや」の総菜または弁当である。

 会津若松へは5年間通った。その前の2年間は会津柳津へ。柳津では「かわち」グループに掛け値なくお世話になり続けた。

 グループ会長、社長、部長、女将、従業員、仲居…。スーパー「かわちや」だけが未踏であり、買物したことがなかった。最後の朝飯またはランチ、もしくは晩餐に相応しい。

 もう会津地方へ足を踏み入れることは生涯無いかもしれぬ。定宿をチェックアウトし、一歩一歩アスファルト路面を踏みしめつつ、店や看板など風景を目に焼き付けていく。

 左手に会津の魂・鶴ヶ城が見えようかというあたりで右折。お墓のようなスペースに石碑が。「山鹿素行生誕400年」と看板が立てられていた。江戸2代目将軍時代(1622年)に会津若松の山鹿町で生まれたとある。

 私が今まさに立っている場所が山鹿町らしい。知らなかった。そもそも山鹿氏が何屋さんなのか存じ上げなかったが「思想家」と看板にある。「日本道徳教育の父」とも。

 香ばしいが、凄い人なのだろう。兵学者としての顔は「山鹿流」。赤穂浪士討ち入りシーンで打ち鳴らされた(らしい)山鹿流陣太鼓は無知無学な私でもその高名を耳にしている。

 山鹿町を闊歩。超巨大病院を左折。<かわちや>が視界に入る直前、あるポスターに気づいた。「天海大僧正」。大河ドラマの主人公に起用されるための署名活動実施中とあった。

 大僧正は徳川初代から3代目まで仕えた知恵者とある。確か、ムー的世界では「天海=明智光秀」でなかったか。ポスターには会津美里町出身ご生誕とあるが、ムー系にとってはご生誕地は美濃あたりでないとつじつまが合わない。

 そんな平和な思想に蕩けていると<かわちや>着。巨大看板に「弁当 288円税別 朝7時30分より販売中!!」。どんな兵法よりも教義よりも力強い。現生の久徳である。

 店内はお客で溢れている。目視だが、レジ打ちを含め恐らく私(49歳)が最年少。5類になって7カ月、店内のマスク着用率は100%である。

 全国チェーンと違い、福島県産、会津産に拘りぬいた品揃えは孔子レベル。漬物、喜多方ラーメン、惣菜、地酒…。買いたい會津が目白押し。〔次夜後編〕

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山鹿流の聖地?

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大僧正ゆかりの地?

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スーパーかわちや。弁当288円の愛。

posted by machi at 03:09| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月27日

第3508夜:14年間の感謝を込めて【会津若松(福島)】

 椛S国商店街支援センター。2009年に産声を上げ、全国津々浦々の商店街や市場を伴走型で様々な面でご支援されてきた国家公認の特務機関である(はず)。

 2010年度から神戸新長田を離れフリーに。その年に商店街支援センター事業が本格起動。早速お仕事を頂戴することができた。当時の事業統括・F田姐さんは私の恩人である。このバカブログを始めたのは2010年6月。以来、今回のアップ内容まで二人三脚だった。

 時代を先取りしすぎた「現地マネージャー育成事業」から始まり、東日本大震災に起因する「被災商店街復興支援事業」、商店街のビジョンやプランを策定する「トータルプラン策定支援事業」、そのプランを実行する「トライアル実行支援事業」。そこから派生した「空き店舗総合支援パッケージ事業」。

 あらゆるよろず相談に対応する「よろず相談アドバイザー派遣事業」、天災人災からの復旧復興をサポートする「被災商店街復興ノウハウ提供事業」…。他にも様々な事業あった。

 北海道から沖縄まで、支援センターからの指令を受け、掛け値なしに飛び回った。センターが存在していなければ、フリーのまちづくり屋としての私は1oも存在していない。

 そんなセンターが惜しまれつつ令和5年3月に解体されることに。14年間も私はお世話になり続けてきた。この歳月は、小学校入学から短大卒業まで同じな超ロングラン。

 令和4年12月8日、私の14年間に及ぶ商店街支援センターミッション最終回。最後の舞台は福島県会津若松市・神明通り商店街。

 神明通りはトータルプランをきっかけに2年目から空き店舗対策事業へ移行。都合5年間コロナ禍でも通い続けた。私の支援センター業務を3区分すれば後期を彩った。

 終了後、4人で最後の懇親会。向かった先は我が定宿から30m程度の<あいべ>。初ダイブである。同行氏たちも初めてらしいが、店のママは当然のごとく皆さまをご存じだった。

 生(マルエフ)で乾杯。メニューが素晴らしい。酒も豊富でホッピーまである。目移りする。

 料理も安くて絶品だった。お通し3種盛も凝っている。手抜き1gもなし。

 かしら焼は「豚の頭」。焼とんの人気串。1ヶが大きく柔らかく絶品。全員首肯している。

 私が会津でハマった料理が「にしん山椒漬」。無双に酒に合う。土産物売場で見つけたら絶対に買う。保存も効く。この店は少し炙って出してくれた。風味が増していた。

 「銀杏」の入り具合も天晴で、豚レバーカツは柔らかく臭み皆無。おでんも串が刺さり出汁が染みている。唐揚もジューシーだ。熱燗に切り替えてピッチを上げる。

 鯖カンカンは鯖水煮缶を携帯コンロに移し替えた逸品。缶詰もここまで手間かけると絶品に昇華。絶対に自宅でやらない、やろうと思わぬ。楽したい缶詰の本質と逆行した旨さである。

 会津最強名物は「馬刺し」。辛子味噌で味わう。熊本の霜降りでなく上品な赤身。会津で毎月のように味わってきた。通いだして数年たってから知ったのだが、相当な高級品だった。

 〆は「焼きおにぎり」。私はそれほど好まないのだが、香ばしい匂いとセクシーすぎる焦げっぷりに降参。十数年ぶりか。前に食べた記憶がない。もしかすると、子供の頃以来か。

 熱々を手にかぶりつく…。前歯にカリっとした反逆。そして醤油の旨味が押し寄せ、熱くて甘い新米(たぶん)が押し寄せる。こんなに旨い食べ物だったのか。付け合わせの漬物も見事なアシスト。人肌になった熱燗で流し込んだ。

 最後の最後に素晴らしい名店と邂逅。もう会津は我が生涯最後かもしれない。最後の晩餐かもしれない。神明通り理事長、専務理事、若手理事に5年間のお礼を申し上げ店を出た。

 30m先は我が定宿。霧で霞んでいる。幻想的である。部屋に戻り、大浴場で凝りを解しベッドにもぐりこんだ。

 まだ太陽も顔を出さない翌朝5時。ポットで湯を沸かし、カバン常備のスティックインスタントコーヒーを飲みながらPC猿打。

 2杯目の珈琲を飲み終え、太陽が天に昇りだした7時半頃、会津若松のレポートなど一式をクライアントである椛S国商店街支援センターへ、ファイルを添付してメール送信ボタンを押した。送信トレイからフォルダが消えた。私の14年間が終了した。

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最後の晩餐。

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嬉しいお通し3種。

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会津で大好物になった「にしん山椒漬」。

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塩の上の殻付き銀杏は旨さ倍増。

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鯖缶も演出次第で高級感たっぷり。

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会津名物の馬刺し。おでんとともに。

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締めは焼おむすび。

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神明通り商店街の皆さま、5年間ありがとうございましあt。

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霧が煙る最後の夜。14年間ありがとうございました。

posted by machi at 05:14| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする