吉原宿。JR吉原駅から岳南鉄道で2駅にある吉原本町駅前からアーケードが広がる。そこには富士市の中心・吉原商店街が領域展開。江戸時代からの宿場町として栄え、現在も新陳代謝を繰り返しながら発展し続けている。
私が初めて吉原を訪れたのは確か2010年。13年前になる。その頃は地元高校生が運営していた駄菓子屋の事例が全国的に(商店街・まちづくり業界ではだが)有名だった。その頃から、否、遥かその以前から吉原宿の再生、新生、活性に全力を注いでいたのがS野氏。
2010年訪問時から、いつか忘れたが1日だけ吉原入りしたことがあった。「入り」したということだけは覚えており他の記憶は滅失。そして2023年、超絶久々に吉原へ足を運んだ。
コロナが5類になり、インバウンド需要が急激に回復。吉原は富士市の中心。富士市、すなわち「富士山」。天下御免の日本のシンボルであり、単独峰としての独特のフォルムは日本人のDNAを直接響く何かがある。
隣県である愛知の豊川(諏訪町)から名鉄、新幹線、JR在来線、岳南鉄道を計5回も乗り換えて吉原本町へ。S野氏は私を放置し旅行で不在らしく、氏の弟分であるS木氏が私をアテント。氏に吉原商店街を案内して頂く。
S木氏は吉原活性化を牽引してきたS野氏の後継(たぶん)として様々な役職を兼務。そして、コロナ禍にゲストハウスと唐揚専門店をオープンさせた。しかも唐揚専門店を含んだ共同ビルの3区画分程度を氏は購入。
賃貸でなく「購入」である。その真意を問うと、氏は「覚悟」と答えた。
グッときた。私に最も欠けている要素である。コンサル会社に勤めていた氏は地元である富士市(吉原?)に戻った際、「覚悟」を示すためにリスクを負って不動産を購入。また、ゲストハウスや唐揚店などの「実業」に踏み込んでいる。
私はクチ三味線ばかりのヨゴレまちづくり屋である。覚悟もない。フラフラとお座敷にお声が掛かるままにクチ三味線を弾き、太鼓持ちとして鯨飲鬼喰するばかり。おひねりで生活している。よく言えば食客、傍から見ればごく潰しの居候である。
ゲストハウスを見学させて頂く。老朽物件が華麗に生まれ変わっている。そして令和5年度、新たな民泊施設建設に向けて動き始めた。計画ではビル上階にサウナも。
新たな民泊施設で泊まること、サウナで整えることはスケジュール的に難しいが、これからさらに生まれ変わろうとする街の勢いと覚悟を肌身に感じた。私も覚悟を決め選択せねば。乗換の静岡駅構内でソトノミするか、新幹線車内でツマミと酒を買い込んで鯨飲するか。
岳南鉄道に乗車。
久々。
新たな拠点。
おしゃれ。
結局、新幹線呑み。
〆は天丼。