きりたんぽとは、米を大きな竹輪のように固めたものと思えばよい。ギッチギチなので、充分に柔らかくなるまでダシを染みこませた方が多分良かろう。私はきりたんぽ鍋チェリーオヤジである。作り方もコツも分からぬが、正統の作法は最初のうちに味わうものかもしれない。
大きなきりたんぽが3本も小鍋に鎮座。汁も半分ほど残っている。よりダシを染みこませようと、煮えるに任せてぼんやりと雑誌に目を通していたら、あっという間に汁が無くなっていた。もう少しで焦げ付くところだった。完全に油断していた。慌てて火を止め、取り皿に移す。
七味唐辛子を多めに振りかけ、パクッと齧る。……。なんともいえないモッチリ感だ。極上のダシを存分に吸い込んでいる。1ヶでかなり満足感が得られてしまう。3つは少し多すぎた。
鍋のシメは雑炊派と麺派に大別される。私は麺派幹部として、冬の忘年会シーズンは雑炊派と激しいバトルを展開している。きりたんぽは雑炊派の亜流の属すると思われるが、ここは秋田。アウェールールに準じるのみである。
比内地鶏は別格として、きりたんぽ鍋の具材で私が最も印象に残ったのは、白舞茸。普段見かける通常の舞茸とは全く別物の香り、歯ごたえ、風味だった。
次回いつ秋田を訪問するか全く分からない。きりたんぽがガツンと胃にきたとはいえ「ビール1杯すかさず日本酒チェンジ作戦」が功を奏している。わずかだが、胃に余裕がある。
私は「白舞茸の天ぷら」を注文した。男鹿の塩で味わうのがおススメだそうだ。天ぷらの盛り合わせがよりおススメであったようだが、ここは白舞茸のみを心行くまで堪能したい。程なくして運ばれてきたときから、キノコの芳醇な香りが個室に充満した。
粗めの男鹿塩をチョンと付け、齧る。キノコと油は極めて相性が良い。私は目をつむったまま大きく天井を見上げ、ガッツポーズをしながら大きくウンウンとうなずいた。個室だからこそできるオーバーアクション。カウンターで一人なら、妙な注目を集めてしまう。次に醤油を少し垂らしてみた。醤油の旨みと塩味が、恐ろしいまでに白舞茸と天ぷらの衣に馴染んでいる。
普段、夜にまず白米を食べることのない私は、タブーを破った。「あきたこまちのごはん」を注文してしまった。コシヒカリ、ササニシキなど数あるが、私はあきたこまちが最も好みだ。
大学時代、秋田出身の(確か)米農家の倅から、あきたこまちを少しおすそ分けしてもらったことがある。学生時代の記憶など、私の皺なし脳から破竹の勢いで消滅し続けているが、米を分けてもらったことを覚えているほど、旨さの印象が強かったのかもしれない。
米粒が立っている。甘い。粘りもいい。3分の1をそのまま味わい、先程のつくねに付いていた比内地鶏の黄身が残っていたので、あきたこまちにまぶして醤油を垂らしてかきこむ。……。私は言葉を失った。粗塩を少しだけパラリと白米にかけて頬張った。再度言葉を失った。
個室だから良かったものの、ひたすら笑みを浮かべて白メシをかきこむ不気味なヤツとしか思われなかっただろう。秋田美人とあきたこまちは同義語。どちらも大好きです。
「白舞茸の天ぷら」に「あきたこまち」を合わせてみました。
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