その一角に、人が一人通れるかどうかの路地がある。入り組んでいる。突き当たりにぼんやりと看板の照明が灯されている。<源氏>という居酒屋である。
店の構え、立地。イチゲンが暖簾をくぐるには、かなりの勇気を必要とする。まずフラっと入れる雰囲気ではない。
私は数年前、仙台を訪れた。すでに廃刊となったガイドブックに載っていたので、たまたま訪問することができた。ガイドブックに載ってるぐらいだから、イチゲンの私でも大丈夫だろう。そのように自分自身を鼓舞せねば、足が竦んで硬直してしまいそうだった。
それから千以上の夜が過ぎた。いまだに、<源氏>で味わった至福のひととき、感動が忘れられなかった。
私は(仮に)20歳から呑み始めたとし、38歳に至る現在まで、平均週4日は外で呑んでいると推測される。1軒目で終わることはまずないので、1日2軒ハシゴしたとする。店はもちろん重複するが、以下の数式が得られた。
私の呑んだ店の数 : 1日2軒×週4日×年52週×18年間=7,488軒
自分で計算して、少し引いてしまった。計算ついでに、1軒で生ビールを6杯呑んだとする。
私の呑んだ生ビールの数 :7,488軒×5杯=44,928杯
約45,000ジョッキである。私の訪問したのべ7,500軒の呑み屋で、<源氏>は私の居酒屋ベスト5に確実にランクイン。このバカ計算は、如何にこの店が素晴らしいかを伝えたいがための隠微な情念だ。余談ついでに全くの個人的嗜好だが、神戸・新長田の<あみさき>、大阪・十三ションベン横丁の<あさひ>、岩手・宮古の<のり平>もベスト5に食い込んでいる。
迷宮に迷い込み、一抹の不安と無限の期待を胸にガラリと引き戸を開けると、見事なコの字カウンターが目に飛び込む。照明は極力落としている。コの字の中では、割烹着を着た、汗とは無縁の上品なママさんが、軽快かつ優雅に動かれている。
カウンターはびっしり客で埋まっている。騒ぐ客など誰もおらず、皆さんじっくりと酒と肴を楽しんでいる。私は詰めていただき、45,000杯の生ビールで膨張した体を滑りこませた。
旬の魚や干物が壁に一部張られているが、基本的にメニュー表は存在しない。未確認だが、恐らく焼酎やウィスキー、チューハイやワインもない。4種類の生ビールと、数種類のこだわりぬかれた地酒のみだ。ドリンク値段は平均1,000円程度。あれ、高いと一瞬思うが、凝視すると壁に張られた酒の御品書に、すべて「お通し付」と書かれている。〔次夜その二〕
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