2025年10月09日

第3768夜:焼うどんと汁うどん【小倉(北九州)】

 天候中止。2010年からフリー稼業として全国徘徊するようになり、2025年2月6日まで台風、地震、大雨等の天災に見舞われてもこれまで奇跡的に現地にたどり着きミッションを遂行できた。そんな15年間の奇跡の積み重ねが2月7日、崩壊した。列島を襲った大雪である。

 2月6日午後、新幹線は定刻通り小倉駅着。降り立つと小雪が舞っていた。翌日、小倉から出雲へ向かう予定だった。ところが前日段階で出雲市発着のすべての特急列車の運休。移動手段がない。関係各所と調整し中止が決定。リスケではない。完全中止。ついに、途切れた。

 15年続いた奇跡の崩壊に3秒ほど肩を落とすも、体力的にキツかったため、シゴト(ギャラ)は無くなったが休みを頂けたと考えた。肩が上がってきた。同時に、腹が減ってきた。

 とにかく、寒い。手袋が無ければスーツケースを引く手が悴む。小倉駅からサンロードを突き抜けていく。アーケードとの交差点に<資さん>が屹立していた。期間限定の「豚汁うどん」ポスターが視界に。頭が真っ白になり、店内へ駆け込んだ。

 普段資さんではフェアメニューを頼むこともあるが、かつ丼(ミニうどん付)、カツカレーぶっかけうどん(小ライス付)、肉ごぼう天うどんのほぼ三択。

 タッチパネルをいじって豚汁うどんを探す途中、気になるメニューが視界に入った。「カツのせ焼きうどん」。そのまんまのネーミングである。添えられた目玉焼がセクシーだ。

 小倉名物数あれど、あまり見かけぬ焼うどんもその一つ。好物だが小倉で食べに行こうと思ったことはない。北九州名物店で小倉名物を味わう。熱いミニうどんを付ければ盤石。

 タッチパネルでカツのせ焼うどんを押す。大盛か否かの画面に代わり、否に。ミニ丼をセットするかどうかの選択も、否。ネギ多めかどうかは、是。ミニうどん付きにするかどうかの画面は出なかった。うどんで被るからか。その組み合わせは想定外なのか。

 別ページに移動し、ミニうどんを探す…。どこだ?ちょこちょこしてたら間違えて「かけうどん」を押してしまった。ノーマルサイズである。変更の仕方も分からず忙しそうな店員さんを呼び止めるのも野暮ゆえ、そのまま通した。

 最初に「かけうどん」が運ばれてきた。蒲鉾、葱がベース。そこに卓上の無料アイテム(とろろ昆布・天かす)投下。「かけ」で380円(税込)なのに、ハイカラ昆布うどんにレベルアップ。

 続いて、カツのせ焼うどん降臨。思ったよりも多い。テンション上がるが、焼うどんと汁うどんを同時に喰ったことがない。故に異次元の気分である。

 まずは伸びないうちに、汁うどんを全力。これぞ資さん。体の芯から温まってくる。細うどんが好きなのだが、ノーマルの太さも寒い日には好もしい。

 夢中で汁1滴残さず啜り切った。すると、かなりお腹がいっぱいになった。焼うどんに目をやる。先ほどより量が増したような錯覚に襲われる。

 カツにソースを垂らし、焼うどんに粉末スパイスと一味をパラリ。まずはカツ…。サクっとしているがヘルシー。焼うどん、甘辛さが精妙なバランスのソースが嬉しい。

 隣のシャレたスーツを着こなしたオヤジがおでんを肴にビールを呑んでいる。私もビールが欲しくなるが、2時間後にミッションを抱える身。水で奥歯を噛みしめる。

 半熟目玉焼は途中まで手を付けなかった。後半からうどんやカツに黄身を絡める作戦だ。

 慎重に目玉焼を箸で持ち上げてうどんにオンさせようとした。ところが、途中で崩れた。時間が立ちすぎて、黄身の土台(白身)が鉄板にひっついてしまっていた。

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魚町の24時間宮殿。

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夢コラボ。

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2025年10月02日

第3762夜:黄金窯変【小倉(北九州)】

 ふれあい市場。北九州屈指の人気出店&移住街・黄金市場商店街に期間限定で出現した仮設市場である。私も計画段階からディベロッパーと商店街の行司役として少し噛んでいた黄金エリアの旧市場・新市場で民間再開発で移転を余儀なくされた店舗の受け皿である。

 20251月下旬の平日の午後。夜に北九州の台所・旦過市場ミッションを控えていた私だが、何とか各種調整を付けてミッションの3時間前に小倉入りした。

 モノレールでそのまま香春口三萩野駅へ。10年間切れ目なく担当させて頂いたが諸事情で御縁が滅失した黄金市場商店街の今を1年2カ月ぶりに刮目するためである。

 改札を出て、まず度肝抜かれた。デッキの上からも巨大マンションが絶賛建設中だった。商店街の入口の<ホッテントッドコーヒー>へ。S開会長がお店に居られたので14カ月ぶりにご挨拶。S開会長が商店街を案内して下さった。

 14カ月前には見かけなかった店が多数。新規出店が凄まじく相次いでいるようだ。黄金屈指の行列店<一葉>に酒友・N川氏が居られたのでご挨拶。ほとんど商品は売切れていたが細巻と唐揚が残っていたので迷わず捕獲。明日の晩酌の肴である。

 N川氏に3週間後に門司駅で呑む約束を硬く交わし、アーケード下へ。14カ月前は仮設店舗は出来上がったばかりだった。数店舗が営業していた。何とも言えない感慨がある。

 新市場エリアは解体が始まったようで立ち入り禁止。旧市場もこれから解体に着手するようだ。数名の解体屋さんが細かくチェックしていた。

 黄金の核店舗<ワールド>へ。レバーパテや鶏チャーシューなど購入。レバーパテをクラッカーで味わう近未来を想像するだけで笑みが漏れる。

 <ホッテントッド>に戻り、S開会長やN川氏らと珈琲を飲みながら雑談。1年以上タイムラグが発生してしまったのでそれを取り返すべく3人で戦略を練るが妙案が出ず。

 お二人と再会を誓い、旦過ミッション前に遅い昼飯を腹に入れることに。16時という飲食店が最も昼休憩な時間帯でも開いているのがラーメン居酒屋<Kentaro>。黄金で呑む際はこの店を利用することが多かった。年中無休で昼休憩無し。店主は若いが商売人の鏡である。

 前から気になっていた「オムチャーハン」を選択。嬉しいことにハーフサイズのラーメンがあったのでスープ代わりに抱き合わせる。

 カリカリというホルモンか何かの揚物と紅生姜などをセルフコーナーから捕獲して席に戻ると、ブツ降臨。オムチャー、マヨたっぷりのまろやかさで衝撃の旨さ。期待以上である。

 ハーフラーメンもチャーシュー、モヤシ、キクラゲ、ネギと手抜きなし。店内自家製炊きスープ呼び戻し追い炊き製法(強そうである)が振るっている。

 たった1年2カ月で黄金は変貌どころか窯変していた。しかし、10年来のお付き合いの変わらぬ店主たちと談笑し、旨しラーメン&チャーハンを腹に入れる。残された店の魅力だけは変わっていない。

窯 変を経て、黄金がどれだけ突き抜けるのか。目が離せぬから、次年度は目を離さないようにしようと誓った。

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S開会長(左)とN川青年部長(右)

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仮設市場(2025年1月末)@

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仮設市場(2025年1月末)A

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解体中(2025年1月末)

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背徳の旨さ。

(付記)

それから9カ月以上。すっかり目を離してしまった。

posted by machi at 08:54| Comment(0) | 福岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月21日

第3755夜:クロスロード【小倉(北九州)】

 岐路。英語なら「クロスロード」「ターニングポイント」か。小倉の中心・魚町銀天街にも「クロスロード」と呼ばれる商業ゾーンがある。

 人生には様々な岐路がある。あの時こうしておけば、こうしていたから…。プラスだったかマイナスだったかは、永遠に分からない。人生は続き、その時はマイナスに思えてもプラスに転じることもある。ただし、どんなに頑張ってもマイナスが強すぎる場合もある。

 2024年の年末から年始にかけて、100年の歴史を誇る北九州の台所かつ至宝<旦過市場>も岐路に立たされていた。次の100年に繋げるための究極の選択である。このバカブログをアップするころにはその方向性が決まっているだろう。

 詳細はとてもここで書けないが、私は2014年から旦過市場再整備ミッションに携わっていた。最初は月1回ペース、途中は3カ月に1回になり、コロナ禍ごろから月2回ペースに。

 岐路の選択が正しいかどうか、この時点(2025年1月)時点では全く分からない。方向性を選択した後にこのバカブログがアップされるであろうその半年後(もっと後かも)でも予測不能。答えが出るのは3年後、5年後、10年後、そして100年後。

 私にとって2025年一発目の旦過市場会議は阪神大震災からちょうど30年を迎える日の前日。震災が無ければ私が北九州に来ることも、旦過市場の会議に出ることも5億%以上無かった。そして、私は会議の進行を妨げるほど態度がよろしくなかった。

 岐路を選択するのはヨソモノの私でなく、献身的なサポートを続ける市役所でなく、市場の組合員たちである。その選択にリスクを負わないヨソモノが異論を挟む権利など1oもない。それは重々承知の上で、少しでも明るい未来を掴んでほしい。しかし、人間の数だけ幸せな未来へ向かうアプローチの考え方が異なってしまう。

 終了後、いつものメンバーで小文字通りを越え魚町銀天街へ。向かった先は旦過エリア(魚町4丁目)から数年前に移転した人気中華料理店<你好>。

 かなり広い店内だが、満席である。私たちは20時半頃店に入ったが、2時間前以上に店入りしたと思しき一巡目の宴会の皆さまはかなり出来上がっていらっしゃる。

 ビールをヤリながら唐揚、ポテトフライをなどをつまむ。先ほどの会議を振り返る。会議終了後も打合せを続けていた旦過のラスボス・M尾親分も懇親会に参加されるという。冷静に応対できるだろうか、一抹の不安を抱えて待つ。

 我ら入店から30分以上経過し、M尾親分がご来店。側近の幹部たちを引き連れて。5人予定が8人に。再度乾杯し、紹興酒のボトルが3本空になる。豊富過ぎるメニューに目がチカチカしながら絶品料理に舌鼓。そして、親分をはじめ旦過幹部の皆さまと久々に我が未来予想図を思う存分話すことができた。そして、親分たちの想いもいろいろ拝聴できた。

 私が想いをしつこく伝えているとき、つい「ヨソモノなのに」と自分で卑下してしまう。親分はそんな私に一言「アヅマさんは、ヨソモノじゃないから」。

 旦過ミッションに携わり10年。翌朝の546分は阪神大震災から30年。私の岐路は間違いなく阪神大震災。震災後の私の選択は、30年経って間違えていなかったと初めて思えた。

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posted by machi at 07:29| Comment(0) | 福岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする