台所。一般家庭のみならず、独り暮らしのアパートでも設置されている機能である。料理をする場所だが、洗面所を兼ねている御仁をおられるだろう。風呂を兼ねるツワモノも。
台所が比喩になる場合がある。いわゆる「〜の台所」である。令和時代において「(北)九州の台所」といえば旦過市場、そして、「京の台所」といえば400年の歴史を誇る錦市場である。ちなみに旦過が100年、大阪黒門は200年の歴史を誇る。
私は阪神大震災で壊滅したが、神戸新長田地区「丸は市場」の漬物屋の倅である。1階が店舗で上階に住んでいたので、まさに生まれも育ちも「市場」である。
商店街と市場は似ているようで異なる。丸は市場が無くなっても、神戸新長田時代の11年間は「丸五市場」、フリー後に「旦過市場」に携わるようになった。北九州では「黄金市場商店街」「門司中央市場」「プラザ祇園」にも御縁を頂いてきた。
そして旦過と私に縁が出来て10年目の2024年、天下の錦市場へお伺いする機会を得た。単なる観光や買い物でなく、ミッションとして。
天下の錦である。私ごときヨゴレのまちづくり屋が関わって許される格式でない。調子こいた批評どころか感想すら気軽に口にすべきでない。錦市場に関わるということは、渋谷センター街や心斎橋商店街に関わることと同義である。
15年前に錦市場を歩いた記憶があるが、定かではない。2010年にフリーになり、京都市内で1度もミッションなど経験がない。
ミッションの約1か月前の暑さ厳しい盆明け、阪急に乗って烏丸へ。錦市場へ向かった。予習である。事前視察である。こんな自主的経験はフリー15年目初である。
狭い通路は外国人で溢れかえっている。日本人買い物客を見つける方が難しい。黒門市場もそうだが、十数年前はどうだったのか。
京都らしく、生鮮よりも加工食品が圧倒的。漬物、練天麩羅、豆腐、ちりめん…。旨そうである。市場のDNAが流れている私はテンションが上がる。
旦過市場とは商品の売り方、客層、業種構成、何から何まで異なっている。旦過のように、地元優先で観光客を重視しないのに、空き店舗などなくびっしり埋まってお客で賑わう市場の存在は奇跡であることを痛感する。
勝手に錦偵察から3週間後の9月、錦市場の事務所内で事務長様からいろいろお話を伺う。守秘義務のためこんなバカブログでも活字化は許されないが、貴重な2時間だった。
どこかでイッパイやりたかったが、京都の地理感が皆無。河原町から阪急特急に乗り込む前、駅売店で「秋味」を購入。カシュッ、グビビ。缶デザインがいかにも京都である。
今日の台所の入口。
阪急電車にて。