2024年10月10日

第3516夜:ジューソー姉妹【姫路・明石・神戸(兵庫)】(その2) 

 改札を出て魚の棚商店街へ。圧巻である。兵庫どころか日本屈指の市場商店街。売り方が上手い。しずる感が横溢。店頭の呼び込み声もしっかり出ている。

 姉妹のお目当ては「明石焼(玉子焼)」。鯨飲旅3軒目は店の中から店員さんが笑顔で出て来て「どうぞ〜」と呼びこまれた<とり居>へ。玉子焼15ヶをツマミに缶チューハイで乾杯。

 神戸新長田っ子の私は玉子焼(明石焼)を出汁に浸し、ソースを少し垂らして味わう。これが無双。この店の玉子焼、フワトロよりもカリトロ系。焼き加減、味付けも精妙。完全に私好み。缶チューハイをお代わり。店内はあっという間に満席に。

 明石駅へ向かう途中、再開発で移転を余儀なくされた<串カツ神鷹>の前を通る。定休日の札が。神鷹は名店中の名店。私も十数年前まで、明石に用事があれば必ず立ち寄っていた。

 この店以外にも系列店がはず。姉妹は串カツ店を営む店長とバイト。ぜひ視野見聞を広げてほしい…。Mキ嬢がネットで調べ系列店に電話。すぐ近くで営業中という。 

 電話を替わる。しかし、教えられた場所を特定できない。情けない兵庫県民(私)である。すると女将っぽい女性が迎えに来てくれた。

 牡蠣の天麩羅、串カツを肴に明石の地酒を4合瓶で乾杯。鯨飲旅4軒目は予定外だった<居酒屋神鷹>。女将風と栃木鯨飲女子たちの会話も盛り上がっている。いつの間にか4合瓶が空になり、さらにもう1本。まだ外は明るい。

 4合瓶2本飲み干して明石駅から普通列車乗車。M子店長は寝てしまった。私も垂水を越えたあたりで舟をこぎだした。Mキ嬢に起こされ新長田で下車。外はもう暗い。

 鉄人28号モニュメント前で定番ポーズの記念撮影後、タンク筋南下。鯨飲旅5軒目は我がソウルフード<みずはら>。私は瓶ビール、姉妹には謎のみかん水「アップル」を賞味頂く。

 M子店長はかなり酔っていたがMキ嬢は絶好調。ねぎすじ焼と牡蠣おこダブルをご満喫。私は目玉焼2ヶでビールを2本。姉妹もアップルよりビールがお好きなようだ。

 店を出た。もう満腹である。いちかばちか、すぐ真隣の店を開けてみた。奇跡的に客が吐けて誰もいない。鯨飲旅6軒目は<すし天>。黒ラベルで喉をさらに開いた後は。熱燗の大徳利で。M子店長は復活し始めた。Mキ嬢は最初から絶好調。

 鱈白子焼、きずし(鰯・鯖)、社長巻(穴きゅうシャリ抜き)をツマミに私もピッチが上がる。もうどれだけ呑んだのか。姉妹は握り寿司を満喫。私は握りにたどり着けなかった。

 時間は21時。タンク筋を北上し、駅高架下も超え北エリアへ。鯨飲旅の7軒目、初日ラストはスナック<ホーム>。ママのトークも絶好調。

 M子店長も復活し、カラオケを熱唱。Mキ嬢がAンジェラ・アキ氏のヒット曲を伊達眼鏡をかけ熱唱。呑んで騒いで笑っていたら24時を回っていた。〔次夜その3〕

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明石魚の棚商店街は夕方でも活気たっぷり。

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初日3軒目。たこ焼でも明石焼でもなく「玉子焼」。

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缶チューハイをヤリながら。

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初日4軒目は名店<神鷹>へ。

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串カツの探求に余念なし。

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地酒2本目に突入。

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新長田へ。

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初日5軒目はタンク筋の<みずはら>。

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初日6軒目はみずはらの真横の<寿し天>。

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初日7軒目はスナック<ホーム>。呑み過ぎた。

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2024年10月09日

第3515夜:ジューソー姉妹【姫路・明石・神戸(兵庫)】(その1)

 栃木鯨飲女子。私の知る限り、鹿沼<串カツJu-So>M子店長とバイトのMキ嬢のコンビを指す。そんな鯨飲姉妹があと2週間弱でお正月な師走、鹿沼から茨城空港経由で神戸三宮へ。

 三宮駅改札前でお出迎え。予約された駅前ホテルへご案内…。ホテルの位置が分からない。日々出張ホテル生活だが、拠点の神戸市内で泊まることがない。頼りないガイド(私)である。

 荷物を預けた鯨飲姉妹と三ノ宮から新快速で姫路へ。JR西日本、それも新快速などいつぶりか。15分に1本、わずか40分程度。圧倒的な利便性に驚嘆する。

 時間は正午前。駅構内のフードコートへ。鯨飲旅の1軒目は<姫路の地酒と姫路おでん本舗>。生姜醤油で味わう姫路おでん5品に姫路の地酒(コップにナミナミ)で税込1000円。幸先良好である。姉妹もビールや地酒を楽しんでいる。

 姫路でメシを喰うなど、酒を呑むなどいつぶりか。新幹線乗り過ごし終電が姫路で駅前ホテルに泊まってしまったのはいつだったか。呑み屋が連なる横筋の商店街へは朝からゴキゲンに開いているようで、地元オヤジたちのパラダイスと化している。

 Mキ嬢は都度ガチャガチャに反応。この2日間でド一等地の物件にガチャガチャ専門店を相当見かけた。私は興味がなかったのでこれまで視界に入ってこなかった。

 ガチャ専門店、平日の昼なのにどこも流行っていた。クオリティも凄い。これまで単なる空き店舗対策程度しか思っていなかった。無人商売のすそ野の広がりに唖然。無知を恥じる。

 十数年ぶりの姫路商店街散策。商店街を抜けると世界遺産「姫路城」の威容が眼前に迫る。姫路城、外観を観ただけで充分。とても天守閣まで上がろうと思わない。

 姉妹は御朱印集めが趣味の一つ。私もコロナ初年に日光東照宮でレアな御朱印帖を入手したが、一度も御朱印そのものを集めることなく御朱印帖そのものがどこかに滅失。

 Mキ嬢は恋愛おみくじに挑戦。「大大吉」。実にめでたい。ラッキーカラーは「青」。ラッキーアイテムは「花瓶」。青の花瓶をプレゼントしてやろうと商店街を歩いたが、売っていない。

 鯨飲旅2軒目は商店街内の穴子料理専門店<やま義>。老舗感としずる感が絶妙。テーブルが1席だけ空いていた。気分は大大吉。

 たっぷり歩いたので瓶ビールで乾杯。染み込む。わさびが添えられた蒸穴子と焼穴子を満喫。ビールの後は姫路の地酒。クイクイ咽を滑る。

 この日は月曜。前日なら観光客で大混雑のはず。旅行は平日に限る。自由業の特権である。

 駅に戻る。Mキ嬢は<御座候>でたっぷりの餡子と今川焼(なのかな)を捕獲し、新快速で頬張っていた。私やM子店長よりひと回り若い。生命力に満ち溢れている。

 姫路駅ホーム最強のソウルフード<まねきのえきそば>の誘惑を振り切り、新快速で明石へ。明石城まで行かず駅ホームから城跡をバックに写真撮影。〔次夜その2〕

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初日1軒目は姫路駅構内の呑み屋フードコート。

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税込1000円セット。

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ガチャの人気ぶりに目を剥いた2日間。

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姫路城は天守閣まで面倒なので手前でUターン。

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初日2軒目は姫路駅前商店街内のシブい穴子屋。

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蒸し穴子。

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焼き穴子。

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ビールと地酒をヤリながら。

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おやつに並ぶMキ嬢。G座候って並ぶ店だったのか。

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明石駅ホームから。城には向かわず。

posted by machi at 06:29| Comment(0) | 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月09日

第3452夜:店頭テレビ【新長田(神戸)】

 街頭テレビ。私は昭和生まれだが(昭和49年)、モノゴコロ着いた頃にはたいていの家庭にテレビはあった。ビデオデッキはどうだったか。

 ファミコンが登場し始めた頃と私のモノゴコロ(たぶん9歳ごろ)はリンクしている。街頭テレビはオトナになってから過去を振り返る映像か何かで知った。昭和ノスタルジーである。

 伝聞でしか知らぬが、街頭テレビでは巨人戦や力道山のプロレス試合が放映されていたらしい。時期で言えば昭和30年代か。

 ある秋の土曜の夜。インテックス大阪で5日間ほど「鹿沼シウマイ」催事のため関西入りしていたM越氏と神戸新長田で合流。氏が関西滞在中、私は魚沼(新潟)→春日部(埼玉)→北九州(福岡)を転々。この夜は北九州小倉からいったん神戸に戻った。

 この日の夜なら私もフリー。ただし三宮まで出るパワーは残っていない。私は上下作業着のまま氏と新長田駅で合流。向かった先は四半世紀通っている鮮魚店直営居酒<あみさき>。屋で海なし県にお住いの氏にご堪能いただこう。

 氏はいきなり焼酎の湯割。私はキリンラガーの瓶から。いかにも昭和な雰囲気だ。

 蒸し穴子、烏賊と帆立の刺身、エビフライなどに舌鼓。ラガー2本の後はハイボール。ハイボールも私が生まれる前の昭和30年代ごろにトリスバーで流行ったはず。いったん廃れたが、サン○リーが仕掛けた角ハイブームで完全に定着した。

 煙草を吸いに外に出る。マスターが店頭に置いてあるテレビに見入っていた。日本シリーズ初戦だった。関西ダービー(虎vs牛)である。こんな試合をされたら、呑み屋はどこも商売にならないだろう。WBCの時もコロナ並に閑散だった。

 私はセなら虎、パなら牛である。虎牛の戦い、むしろ冷静に見ることができる。どちらが勝っても嬉しいからだ。

 煙草を吸いつつマスターと談笑しながらテレビを見る。マスターが試合経過を解説してくれる。店内にテレビがあったらずっと居るだろう。その分、杯数も増えそうだ。

 タコガーリック炒めなどを肴に熱燗鯨飲モード。二合徳利が数本空いた頃にお会計。店を出ると、虎が牛から大きくリードを奪い始めた。区切りの良いところまでTVを見せてもらう。M越氏もご堪能。味わい深いものがある。3人だけの街頭テレビだ。

 2軒目はスナック<ホーム>。客もママもいないが、カウンターレディが日本シリーズを鑑賞していた。我ら2人もTV真正面に陣取る。

 バーボンを呷りながら熱戦を鑑賞。街頭テレビからパブリックビューイング状態に。そう思えば、街頭テレビは昭和時代のパブリックビューイングだったのだろう。

 街頭テレビ全盛時代、まさか半世紀少しで携帯電話(スマホ)でどこでもテレビが、野球が見れる時代が来るなど想像できなかっただろう。150年前、豊前小倉から摂津神戸まで2時間で移動できるなんて意味不明だっただろう。

 今から50年後、どんな世の中になっているのか。まあ、不摂生の極みの私は10年後も知ることはできそうにないけれど。

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刺身。

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穴子白焼。

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エビフライ。

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蛸ガーリック。

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店頭テレビ。

posted by machi at 09:57| Comment(2) | 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする