拙宅にお泊り頂いた栃木県鹿沼市の盟友・Ⅿ越氏を10月上旬の日曜、新長田をご案内。
まずは鉄人が屹立する若松公園へ。M越氏が中心となってJR鹿沼駅前にシウマイ像を設置したばかりだが、大きさは何倍あるだろうか。少なくとも製作費は200倍ほど違うだろう。
新長田の商店街が開けだすのが10時ごろ。自転車も多いが通行客も多い。ただし通行客か通行人なのか微妙なところだが。
新長田南地区の地下街は、食品スーパーが5軒は並んでいる。地上も含めたら凄まじいほどの激戦区。マンションなど、私が勤めていた初期の頃は分譲マンションなど4割は売れ残っていたが、今や買値の何割か増しで売却できるという。
新長田1番街から国道2号線を渡って大正筋方面へ。地下道を通る。思わず目を剥いた。私が居たころは殺風景だったが、すっかりリニューアルして垢ぬけている。
震災の復興の歩みを紹介したコーナーも大充実。長田区民には感心ないだろうが、栃木県鹿沼市からお越しのM越氏をご案内するには絶妙抜群のスポットといえる。
新長田南地区商店街における再開発商業ビル第1号。アスタくにづか1番館1階の<ホルス>で食パン捕獲成功。ここの食パンは我がソウルフードの一つ。
震災前の私の実家の裏口からホルスの裏口は徒歩3歩程度だった。いつも流行っている。食パンは予約せねば買えぬ時も。ラッキーにも捕獲できたのでM越氏のお土産に。
大正筋を南下し、六間道へ。三国志の香りが残っている。懐かしい。
六間道5丁目を超えると、4丁目がアーケードの解体工事の真っ最中。この4丁目で数え切れないほどイベントを実施してきた。雨や日差しから守ってくれた。
4丁目には我が盟友・M井氏の呉服店(冨士屋)が。店内で氏はスマホいじっていた。鹿沼シウマイPJはご存じなかったが、私の鹿沼での串カツジューソーPJには関心を示された。
丸五市場へ。入口の<富山商店>で私が銀河一好きな白菜キムチを買い込んでから、それから市場内の<西村鶏肉店>で焼鳥、手羽先、そして丸五市場オリジナルTシャツを購入。
東端の本町筋へ。ここは震災前から変わらぬ。新長田全般で飲食店、それもベトナム料理店が凄まじく増加。私が居た10年以上前は無かった店舗が目白押し。空き店舗もなさそうだ。
私が消え、ますます新長田は良くなっているのだろう。応分の責任を抱えていた私自身が活性化の足を引っ張っていたことをこってりと痛感させられる。
大正筋に戻る。お仕えした新長田時代の親分の一人<味萬>伊T氏にご挨拶。70を超えても元気たっぷり。新商品開発など新展開にも余念がない。まちづくりに対する荒ぶる熱き想いと魂も健在どころか、ますます煮えたぎっていた。
濃厚極まりない抹茶アイスと香ばしくてさっぱりで食感もよく世界でここでしか味わえない「玄米茶アイス」をご馳走になる。M越氏はご自宅のアイスクリームセットを発注された。
時間は11時を回った。新長田といえば、鉄板こなもん「お好み焼き」。中でも私が物心つく前から通っている<みずはら>へ。4人定員である。
M越氏に謎の液体「アップル」をご賞味いただく。兵庫県内も10月1日から時間制限あれど酒類解禁。いつぶりか覚えていないほど久しぶりに神戸市内で瓶ビールを頂く。缶よりも、生や瓶。しかも、午前中。喉を刺激し、五臓六腑に染み渡る。
ねぎすじ焼、月見肉焼、モダン焼という私がこの店で注文する3大スターを二人でシェア。マスター夫妻とも久しぶりに話す。
時間は正午前。M越氏は元町三宮界隈を少し散策されてから栃木・鹿沼へ還られる。ちなみに<みずはら>にはこれまで栃木県民の来店はなく、マスターは栃木県民とリアルで初めてあったそうだ。創業90年近い老舗である。
鉄板こなもんの街・新長田からシウマイの街・鹿沼へ。20年前の私は鉄板こなもんの街づくりを進めるべく馬車馬していた。これからは、鹿沼のシウマイの街づくりを微力ながら影日向から応援していきたい。いつか、鹿沼と新長田の橋渡しができればステキである。

六間道にて新長田時代の盟友と。

このお店のキムチ、アタシは一番好き。

丸五市場にて。

大正筋の新長田時代の我がボスのお店にて。

アタシのソウルフード。