街頭テレビ。私は昭和生まれだが(昭和49年)、モノゴコロ着いた頃にはたいていの家庭にテレビはあった。ビデオデッキはどうだったか。
ファミコンが登場し始めた頃と私のモノゴコロ(たぶん9歳ごろ)はリンクしている。街頭テレビはオトナになってから過去を振り返る映像か何かで知った。昭和ノスタルジーである。
伝聞でしか知らぬが、街頭テレビでは巨人戦や力道山のプロレス試合が放映されていたらしい。時期で言えば昭和30年代か。
ある秋の土曜の夜。インテックス大阪で5日間ほど「鹿沼シウマイ」催事のため関西入りしていたM越氏と神戸新長田で合流。氏が関西滞在中、私は魚沼(新潟)→春日部(埼玉)→北九州(福岡)を転々。この夜は北九州小倉からいったん神戸に戻った。
この日の夜なら私もフリー。ただし三宮まで出るパワーは残っていない。私は上下作業着のまま氏と新長田駅で合流。向かった先は四半世紀通っている鮮魚店直営居酒<あみさき>。屋で海なし県にお住いの氏にご堪能いただこう。
氏はいきなり焼酎の湯割。私はキリンラガーの瓶から。いかにも昭和な雰囲気だ。
蒸し穴子、烏賊と帆立の刺身、エビフライなどに舌鼓。ラガー2本の後はハイボール。ハイボールも私が生まれる前の昭和30年代ごろにトリスバーで流行ったはず。いったん廃れたが、サン○リーが仕掛けた角ハイブームで完全に定着した。
煙草を吸いに外に出る。マスターが店頭に置いてあるテレビに見入っていた。日本シリーズ初戦だった。関西ダービー(虎vs牛)である。こんな試合をされたら、呑み屋はどこも商売にならないだろう。WBCの時もコロナ並に閑散だった。
私はセなら虎、パなら牛である。虎牛の戦い、むしろ冷静に見ることができる。どちらが勝っても嬉しいからだ。
煙草を吸いつつマスターと談笑しながらテレビを見る。マスターが試合経過を解説してくれる。店内にテレビがあったらずっと居るだろう。その分、杯数も増えそうだ。
タコガーリック炒めなどを肴に熱燗鯨飲モード。二合徳利が数本空いた頃にお会計。店を出ると、虎が牛から大きくリードを奪い始めた。区切りの良いところまでTVを見せてもらう。M越氏もご堪能。味わい深いものがある。3人だけの街頭テレビだ。
2軒目はスナック<ホーム>。客もママもいないが、カウンターレディが日本シリーズを鑑賞していた。我ら2人もTV真正面に陣取る。
バーボンを呷りながら熱戦を鑑賞。街頭テレビからパブリックビューイング状態に。そう思えば、街頭テレビは昭和時代のパブリックビューイングだったのだろう。
街頭テレビ全盛時代、まさか半世紀少しで携帯電話(スマホ)でどこでもテレビが、野球が見れる時代が来るなど想像できなかっただろう。150年前、豊前小倉から摂津神戸まで2時間で移動できるなんて意味不明だっただろう。
今から50年後、どんな世の中になっているのか。まあ、不摂生の極みの私は10年後も知ることはできそうにないけれど。
刺身。
穴子白焼。
エビフライ。
蛸ガーリック。
店頭テレビ。