こんなところにラーメン屋があったのか。そして<長田家>とある。この「家」が気になる。まさか、横浜家系?……。近づく。……。まさかのまさかだった。何と新長田に横浜家系が。
1999年から2010年まで私の職場が新長田だった頃、家系ラーメンなど新長田どころか神戸でも稀だった。よって北海道や横浜に行った際は狂ったように啜っていた。それが時を経て、新長田で啜れるとは。しかも毎日。
鼻息荒く券売機と対峙。醤油豚骨にスペシャルトッピング(焼豚3枚・味付玉子1ヶ・海苔5枚)。ライスも大盛で。家系にライスは欠かせない。
万全なコロナ対策の店内をぼんやり見渡していると、ブツ降臨。焼豚は私好みのロース。スープで浸した海苔でライスをクルン。時には麺にも絡める。どちらかと言えばもう少しスープサラサラが好みだが、これは次回にカスタマイズすればよい。壮絶な感動に打ち震えた。
私が奉職していた2010年までは新長田の再開発エリアは空き店舗だらけだった。空地も多かった。人もこんなにいなかった気がする。それが10年たつと、マンションはさらに建てれば即日完売状態で15年以上前の竣工物件でも中古が新築と変わらぬ値段で売れるそうな。
合同庁舎もできて飲食店も増え、人の流れも変わったという。流行っている店はコロナ関係なく凄まじく売れているそうだ。
漏れ伝わる情報によると、特にDイソーの売上は西日本屈指らしい。ダイS−売上日本屈指という点がいかにも新長田らしい。歩いて気づくが、後期高齢者と思しき男女のマスク着用率の低さにも驚かされる。
新長田へは最低3カ月に1回訪れる。3カ月に一度の定期診察のためである。しかしいつも診察が終わればすぐに新長田を離れていた。
アスタの商業ビル群(再開発エリア)を久々に歩く。明らかに私が居た10年前より良くなっている。私は何のお役にもたてなかった。新長田は本当にいい街になったと心の底から実感する。
私にとって、活性化の基準があった。それは「新長田を職場としている私(アヅマ)が、オフの日にも新長田に足を運んで飲み食いや買い物、店主との談笑や主催していないイベントに足を運ぶようになること」だった。
隣の芝を青く見えるという格言には納得する。私が足を運ぶ全国の商店街と比較しても、新長田は相当恵まれている。
新長田から離れて10年。飲み食い限定だが新長田に稀に足を運ぶようになった。隣の芝が青く眩しい。横浜家系ラーメンが啜れるなら、訪問頻度は大幅に増えそうだ。何故か住みたいとは当時からだが相変わらず1gも思わないのだけれど。

衝撃。

興奮。

感動。