「定年のないシアワセ」。田辺駅前商店街T中理事長から私が30代の頃にお聞きした金言である。私の心の支えであり、我が漫談の締めくくりにほぼ毎回引用させていただいる。
T中理事長が2025年の暮れ、急逝された。その一報が田辺商工会議所のO崎氏&N本氏から別々に私に届いた。通夜は12月24日。クリスマスイブである。一報を受けた時、私は栃木県&埼玉県に出張中だった。弔電を打つタイミングも無かった。
2013年頃、毎月田辺に足を運び、T中理事長、会議所O崎氏&N本氏らと空き店舗対策と創業支援を組み合わせた事業計画を練り込んでいた。その翌年から、商工会議所主催「創業ゼミ」にて「商店街貸店舗ツアー」をカリキュラムに組み込んだ。
私が全国で展開している創業支援×空き店舗対策、バーチャル&リアル貸店舗ツアーの原型は田辺発祥。T中理事長のご理解とご厚情でフリーランスになった私の今がある。
2014年以降、私の田辺訪問は年2回に定着。そのうち1回の懇親会に理事長は毎回顔を出して下さった。しかし、2025年11月23日の懇親会に理事長の姿は無かった。体調を崩されて入院中とのこと。ただ、それほど深刻な感じではなかった。実際、それから退院されて商店街の会議にも出席されていたという。再び体調を崩されて再入院。そのまま天国へ旅立たれた。
亡くなる1か月前、私も参加した懇親会の様子をO崎氏が理事長に報告する形でSNSをやりとりしていた。私のことも話題に上がっていた。訃報メッセージに添付されたそのスクショを目にした時、たまらなくなった。最後に手を合わせたい。感謝の気持ちを直接伝えたい。
訃報を受けたのは新幹線車内。私ごときが参列することは憚られるが、車中で翌日の田辺の定宿を予約。下車した新神戸駅で紀伊田辺駅までの切符を購入。
理事長と初めてお会いしてから20�s太った私。10年ぶりに着た礼服はパンパンでズボンのボタンが閉まらない。上着の前ボタンが届かない。
ベルトでボタンをごまかしつつ日も沈んだ夜。ちょうど1カ月ぶりに紀伊田辺駅の改札を出た。蒸し暑く、汗が噴き出る。定宿(アルティエ)に荷物を置いて駅に戻り、タクシーでホールへ。弔問客が室外まで溢れていた。入り口には理事長のスナップ写真や若い頃の写真も。
何人かの知人と久々にお会いした。私のことを覚えて下さっていた。理事長が紡いで下さった御縁である。皆さん、あまりのことに悲しみと戸惑いが入り混じっている。ガンとかでなく予兆が無かった病気だけになおさらだろう。まさに、巨星堕つ。
理事長が営む電気屋の隣店舗の靴屋のI田氏が、私にまで気を使って下さり、ご尊顔を拝見させて頂いた。安らかな、柔らかい表情を浮かべられている。鼻の奥がツンとする。
奥歯を噛みしめていると、隣のO崎氏が「こんなにまつ毛、長かったのか」と一言。思わず鼻が膨らんでしまった。魂魄の気合で丹田に力を込めた。
2014年2月3日。
2025年12月24日。

