牛久。焼肉屋とかにありそうな屋号だが、茨城県に牛久市というところがあるそうだ(私は未踏)。昭和63年、牛久から伝説が始まった。<山岡家>1号店の産声である。
4週連続となった栃木市ミッションの4週目が終了した正午前。その後に下野市へ向かう。栃木から下野といううルートも4週連続。
栃木市役所を出て下野市役所まで、私より二回りほど年下の「A利銀行出向とちぎまるごと4代目麺友(兼運転手)」K林氏の車に乗せてもらう。途中、昼飯に。当然、ラーメンである。
私のリクエストは「ラーショ(ラーメンショップ)」か「山岡家」。ただし道中にあるのか全く分からない。ラーショには3年以上、山岡家には1年半以上抱かれていない。
下野ミッションまで時間に余裕あるものの、遅刻は厳禁。栃木県内のロードサイドはどこもラーメン屋だらけなので選択肢は多いものの、私の気分はこの二択。
4代目麺友はサクッとスマホで検索。栃木市役所から車で7分の地点に<山岡家>を見つけた。栃木市役所に月1〜2回ペースで通い始めて3年近く。全く気付かなかった。
一気にテンションが上がってきた。どんなにメニューが増えようが期間限定フェアを展開してようが「ネギチャーシューメン」への愛は30年近く不動である。
山岡家の赤看板が見えてきた。24時間年中無休ノボリが頼もしすぎる。深夜のドライバーさんたちを、つまり日本の物流を支えている。
迷わずネギチャーシューメン大盛のボタンを押す。職場から車で2分に<山岡家>があるというK林氏に50枚集めるとTシャツがもらえるサービス券を手渡す。羨ましい限りだが、いつでも行ける環境にあると逆に足が遠のくものである。毎日啜れば、それもスープを完飲すれば、体調面だけでなく精神面でも別のユニバースへ転生してしまうだろう。
1年半ぶりに対面。彦星と織姫よりも長いスパンだった。このバカブログで横浜家系ラーメンの中でも独自の進化を遂げたこのチェーンの実力や旨さは幾度も乱筆してきたので実況は割愛する。ライスを添えさせなくとも大盛で満足してしまう点に50歳という年齢を痛感する。
啜り終え、水を飲みながら店内を見渡す。栃木県内だけで10店舗も営業しているそうだ。お隣の群馬県でも10店舗以上。私が知る限り、近畿以西では北九州市に2軒あるだけ。2025年2月時点で約180店舗展開しているそうだ。昭和63年創業ゆえ令和7年まで38年ほど。ラーメン店の廃業がよくニュースになっているが、山岡家には関係なしだろう。
初めて啜ったのが平成6年、札幌だったはず。札幌発祥の店と思い込んでいた。当時は家系など言葉も知らず、山岡家が唯一無二だった。
我が拠点の神戸どころか近畿&中国に存在しない(本稿アップ日時点では不明)。FC加盟料や投資額は分からぬが、私が近畿中国1号店第二創業を狙うか。しかし、好きをシゴトにしてしまうと嫌いになってしまう我が悲しい性。距離があるからこそ喜びが増すのだろう。
栃木市役所から車で数分。
伝説のはじまり。
私のすべて。

