岐路。英語なら「クロスロード」「ターニングポイント」か。小倉の中心・魚町銀天街にも「クロスロード」と呼ばれる商業ゾーンがある。
人生には様々な岐路がある。あの時こうしておけば、こうしていたから…。プラスだったかマイナスだったかは、永遠に分からない。人生は続き、その時はマイナスに思えてもプラスに転じることもある。ただし、どんなに頑張ってもマイナスが強すぎる場合もある。
2024年の年末から年始にかけて、100年の歴史を誇る北九州の台所かつ至宝<旦過市場>も岐路に立たされていた。次の100年に繋げるための究極の選択である。このバカブログをアップするころにはその方向性が決まっているだろう。
詳細はとてもここで書けないが、私は2014年から旦過市場再整備ミッションに携わっていた。最初は月1回ペース、途中は3カ月に1回になり、コロナ禍ごろから月2回ペースに。
岐路の選択が正しいかどうか、この時点(2025年1月)時点では全く分からない。方向性を選択した後にこのバカブログがアップされるであろうその半年後(もっと後かも)でも予測不能。答えが出るのは3年後、5年後、10年後、そして100年後。
私にとって2025年一発目の旦過市場会議は阪神大震災からちょうど30年を迎える日の前日。震災が無ければ私が北九州に来ることも、旦過市場の会議に出ることも5億%以上無かった。そして、私は会議の進行を妨げるほど態度がよろしくなかった。
岐路を選択するのはヨソモノの私でなく、献身的なサポートを続ける市役所でなく、市場の組合員たちである。その選択にリスクを負わないヨソモノが異論を挟む権利など1oもない。それは重々承知の上で、少しでも明るい未来を掴んでほしい。しかし、人間の数だけ幸せな未来へ向かうアプローチの考え方が異なってしまう。
終了後、いつものメンバーで小文字通りを越え魚町銀天街へ。向かった先は旦過エリア(魚町4丁目)から数年前に移転した人気中華料理店<你好>。
かなり広い店内だが、満席である。私たちは20時半頃店に入ったが、2時間前以上に店入りしたと思しき一巡目の宴会の皆さまはかなり出来上がっていらっしゃる。
ビールをヤリながら唐揚、ポテトフライをなどをつまむ。先ほどの会議を振り返る。会議終了後も打合せを続けていた旦過のラスボス・M尾親分も懇親会に参加されるという。冷静に応対できるだろうか、一抹の不安を抱えて待つ。
我ら入店から30分以上経過し、M尾親分がご来店。側近の幹部たちを引き連れて。5人予定が8人に。再度乾杯し、紹興酒のボトルが3本空になる。豊富過ぎるメニューに目がチカチカしながら絶品料理に舌鼓。そして、親分をはじめ旦過幹部の皆さまと久々に我が未来予想図を思う存分話すことができた。そして、親分たちの想いもいろいろ拝聴できた。
私が想いをしつこく伝えているとき、つい「ヨソモノなのに」と自分で卑下してしまう。親分はそんな私に一言「アヅマさんは、ヨソモノじゃないから」。
旦過ミッションに携わり10年。翌朝の5時46分は阪神大震災から30年。私の岐路は間違いなく阪神大震災。震災後の私の選択は、30年経って間違えていなかったと初めて思えた。

