2025年1月17日。阪神・淡路大震災から30年を迎えた日である。神戸新長田時代、1月17日は1年で1番長い日だった。商店街の各所で追悼行事やイベントが開催されていたから。
前日から会社に泊まり込み、1発目は朝5時46分の行事。2発目は正午の黙祷系。そして最後は夕方5時46分。最初の頃はどこも朝5時46分だったが、12時間後の夕方に移行する商店街が増えた記憶がある。
私も肉体的にラクなので何も考えていなかったが、改めて振り返ると同じ5時46分でも12時間もズレればあまり関係なかったようにも思う。まあ、追悼の気持ちがあれば問題ない。
2010年4月に新長田を離れ、阪神大震災の追悼行事ともすっかり縁が無くなった。以降、1月17日を神戸で過ごした記憶がない。常に出張先でこの日を迎えていた。
そして、30年目の節目の日。私は山口県周南市に居た。徳山駅前には1oも震災の香りが感じられない。周南市は日本屈指の工業地帯。つまり、異様に地震に強い街でもある。
不動産事業者様を訪問してヒアリングし、市や会議所の皆さま方と会議や合間の雑談。阪神大震災が鮮明なのは会議メンバー8人中、私を含め50歳以上のオヤジ3名。後の3人は震災当時未就学児か小学生。後の2人は生まれてもいない。
ミッション終了後、どこかで呑んで帰ろうかと思ったがまだ15時半。駅構内のカフェでPC猿打し、17時過ぎの新幹線に乗り込む。
缶ビールロング缶をゴキュゴキュしつつ総菜パン。近隣の岩国市のカップ酒をヤリながら塩おかき。九州が舞台の古本屋で50円で入手した『クッキングパパ』廉価版を読みながら。いつのまにか夕方の5時46分も経過していた。
新神戸着後、どこにも立ち寄らず震災の被害はほぼ皆無だったと思しき私の自宅がある妙法寺駅へ直行。風呂に入り、発泡酒を冷蔵庫から取り出してTVを付ける。震災特番ばかりだった。30年の節目ゆえ、震災関連番組が凄まじかった。そのほぼすべてを録画していた。
とりあえず適当に録画の中から1番組を選んで観た。そして、20番組ほどの震災特番録画を観ることなくすべて消去してしまった。冷静に観られなかった。心拍数が上がり、思考が空白になる。1995年から2009年まで阪神大震災が私のすべてだった。しかし2010年以降、こんな私でも震災の呪縛から離れ前を向いてきたつもりである。
神戸市長田区の市場(漬物屋)に生まれ、店舗兼住宅の新長田の市場の店から徒歩または自転車県内の小・中・高校を卒業。一浪して大学へ。1995年1月16日まではどこにでもいる平々凡々な野郎だった。その翌日から人生が一変。アップダウン激しい波乱万丈な30年だった。
もし阪神・淡路大震災が無ければまちづくりを生業にしておらず、周南にも行っていなかった。次の節目は50年か。もし私が存命なら70歳。存命なら、どこで過ごしているだろうか。
(付記)
この日、震災番組を全消去した後、録画していた『Aメトーーク!』を観る。2024年に日本一になったY浜ベイスターズ芸人特集だった。ベイスターズ、26年ぶりの優勝だったらしい。震災から30年、優勝から遠ざかった26年。同じ時間軸と思えぬ時空の歪みに変な気分にさせられた。

