古本屋。学生の頃からお世話になっている。昔は商店街内でよく見かけたが、めっきりと減った。活字離れだけが理由でないような気もする。某巨大古本チェーンの放送では「売場面積世界一」を唄っている。売場面積だけで勘案すれば、むしろ新刊書店の方が減少率は激しそうだ。
私も20年ほど前は某巨大古本チェーンを利用していた。今も利用するが、昔ほどではない。最も大きな理由は、安くないから。新刊と変わらない価格も多数。ならば、新刊を買う。そして、古本というより総合サブカルチャーという新たな業態に移行している気もする。
武里駅西口名店会のT中会長は古本屋のオーナー。全国貸本組合の理事長の重責も担われている。「貸本」というのは私が子供の頃の昭和末期にはすでにほぼ無かっただろう。
貸本全盛期と思しき『まんが道』の時代(昭和20年〜30年代)から80年ほど時を経た令和6年の師走。武里西口駅前看板除幕式から西口イルミネーション点灯式までに合間に、T中会長のお店を覗いた。奥の倉庫に私の荷物を預かってもらっていた。
これぞ、古本屋さんである。垂涎のラインナップ。ほんの少しのつもりが、コミックスコーナーだけでも見入ってしまう。この日は終電の新幹線で神戸に戻らねばならない。帰路の新幹線晩酌のお供にコンビニコミック『藤枝梅安』を1冊購入すべく、奥様が座られているレジへ。
わずか100円だった。奥様はお世話になっていますと無料にして下さった。お世話になっているのは私である。ひたすら恐縮し、次回訪問時に大量購入を誓う。
武里から神戸までの帰路に着く前に、80分ほど東口商店会<小湊>で開かれたイベント打ち上げに参加させて頂いた。店内はびっしり満員である。しかし、T中会長が座る座卓の中央を挟み、明らかに出席者の雰囲気というか、テイストが異なっている。
片方はイベントの司会者さんや音響さん、サンタの衣装を着て誘導されていたスタッフの皆さま。年齢層も若い。一方、もう半分はT中会長と同世代っぽい先輩方の男女が5名ほど。先輩方は、T中会長のご友人であり、同業者。都内や埼玉県内で古本屋を営む方々だった。
私は活字中毒である。出張先などで読み物が無くなったと思うと鳥肌が立つ。ゆえに重いのにわずかな宿泊日数でも文庫限定だが数冊カバンに入れている。
じっくり読む時間のある長編ミステリ、30分程度の時間を確保できる短編ミステリ、5分でも楽しめるエッセイ(グルメ系)が王道の我がラインナップ。老眼の進行で読書量は激減気味とはいえ、20年前は1日1冊ペースだった。液晶画面でなく、本を開いて紙から読みたい。
本も好きだが、新刊書店や古書店で買う本を物色している時間は人生最高クラスの至福タイム。このような私の活字愛を古本屋の皆さまに訴えた。
本好きなら誰もが憧れる、本屋を営むということ。趣味をシゴトにしてはいけないのは我が持論であるのだが、一度は本屋を営んでみたい。ただし、私に売れる本の目利きなどできない。ゆえに複合業態を構想し続けている。
古本屋さんたちの裏話や作家エビソードが最高に面白い。古本屋業界における都内の女帝と称される方が「さいとう・たかを先生って、お会いするとホントかわいいのよ〜」。
私の読む『藤枝梅安』も池波先生の原作でなく、さいとう先生の漫画バージョン。ゴルゴは自宅に170冊ほどある。さいとう作品はコンビニのコミックに必ずある。私がコンビニへ行くと、真っ先にチェックするのがコミックコーナーだ。
コワモテの極みなさいとう先生が「かわいい」。魂のレベルで打ち震える垂涎エピソードである。
首都圏の古本屋さんたちと懇親会

