2024年09月28日

第3509夜:アヅマ流かわちや兵法【会津若松(福島)】(前編)

 かわちや。会津柳津最強企業グループ「かわち」が展開する食品スーパーである。その若松店が西若松駅から徒歩10分ほどに位置。ドラッグストア「カワチ」と混同してはならぬ。

 14年間お世話になり続けた鰹、店街支援センターミッションが終わった翌朝。夜も明けぬ5時から会津若松の定宿でPC猿打。10時チェックアウト。さすがに腹が減ってきた。

 この日の朝昼兼用メシは決めていた。定宿の絶品朝食でも、朝7時から空いている定宿から徒歩10分弱の絶品ラーメン店でもない。スーパー「かわちや」の総菜または弁当である。

 会津若松へは5年間通った。その前の2年間は会津柳津へ。柳津では「かわち」グループに掛け値なくお世話になり続けた。

 グループ会長、社長、部長、女将、従業員、仲居…。スーパー「かわちや」だけが未踏であり、買物したことがなかった。最後の朝飯またはランチ、もしくは晩餐に相応しい。

 もう会津地方へ足を踏み入れることは生涯無いかもしれぬ。定宿をチェックアウトし、一歩一歩アスファルト路面を踏みしめつつ、店や看板など風景を目に焼き付けていく。

 左手に会津の魂・鶴ヶ城が見えようかというあたりで右折。お墓のようなスペースに石碑が。「山鹿素行生誕400年」と看板が立てられていた。江戸2代目将軍時代(1622年)に会津若松の山鹿町で生まれたとある。

 私が今まさに立っている場所が山鹿町らしい。知らなかった。そもそも山鹿氏が何屋さんなのか存じ上げなかったが「思想家」と看板にある。「日本道徳教育の父」とも。

 香ばしいが、凄い人なのだろう。兵学者としての顔は「山鹿流」。赤穂浪士討ち入りシーンで打ち鳴らされた(らしい)山鹿流陣太鼓は無知無学な私でもその高名を耳にしている。

 山鹿町を闊歩。超巨大病院を左折。<かわちや>が視界に入る直前、あるポスターに気づいた。「天海大僧正」。大河ドラマの主人公に起用されるための署名活動実施中とあった。

 大僧正は徳川初代から3代目まで仕えた知恵者とある。確か、ムー的世界では「天海=明智光秀」でなかったか。ポスターには会津美里町出身ご生誕とあるが、ムー系にとってはご生誕地は美濃あたりでないとつじつまが合わない。

 そんな平和な思想に蕩けていると<かわちや>着。巨大看板に「弁当 288円税別 朝7時30分より販売中!!」。どんな兵法よりも教義よりも力強い。現生の久徳である。

 店内はお客で溢れている。目視だが、レジ打ちを含め恐らく私(49歳)が最年少。5類になって7カ月、店内のマスク着用率は100%である。

 全国チェーンと違い、福島県産、会津産に拘りぬいた品揃えは孔子レベル。漬物、喜多方ラーメン、惣菜、地酒…。買いたい會津が目白押し。〔次夜後編〕

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山鹿流の聖地?

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大僧正ゆかりの地?

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スーパーかわちや。弁当288円の愛。

posted by machi at 03:09| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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