2023年07月08日

第3207夜:天平の丘【下野(栃木)】

 天平時代。奈良時代の中でも8世紀前半の奈良時代のことを文化史上では「天平時代」と表現するそうである。平城京に遷都され、東大寺(大仏)が建立し、法隆寺壁画など大陸の文化が流入し、全国に国分寺等が建設された。

 天平といえば、飛鳥・奈良。歴史に疎い私ですらそのイメージをぼんやり有しているが、「東の飛鳥」と称される地があった。小金井駅から車で数分、「天平の丘(公園)」である。

 2023年2月中旬。小金井駅で正午に下野市創業担当トリオと合流し、公用車で下野市立天平の丘公園へ。西日本人の私は全く知らなかったが、栃木県民は最低1度は遠足や課外学習に訪れるそうな。4月の花(桜)まつりは20万人が来場。11月の芋煮会も圧倒的に集客するらしい。

 27ヘクタールという広大な敷地に駐車場は1300台。敷地内に巨大な古墳があった。大豪族か貴族か、まさか皇族か。

 どなたを埋葬しているのか尋ねたら、誰も埋葬していないという。要するに、天平の丘公園らしくオブジェ的に作ったそうな。虚実分からぬが、勝手に作って宮内庁に怒られたらしい。

 2月の園内は枯れ枝ばかりだが、梅が咲いている場所も。閑散期でも風情を感じさせる。

 立派な古民家があった。名は「夜明け前」。来園者は誰でも利用できるフリースペースである。こたつもあって居心地良すぎ。

 古民家の隣にある同じく古民家風のテイクアウト専門店「10ピクニックテーブルズ」は、数種類の弁当やランチプレートを古民家や屋外で楽しめる。昼メシをこたつで頂くことに。私は日替の「テンパク弁当」。焼肉などおかずたっぷりで旨し。

 こたつでぬくぬく味わっていると、下野の町おこしの仕掛け人であり、テンピクや古民家を運営している一級建築士のY口氏登場。

 氏からたっぷりと惜しげもなく様々なお話を聞かせて頂く。ぜひとも氏のお力を拝借せねばならないプロジェクトが令和5年度から着手、令和6年度に本格化する予定である。

 園内をたっぷり散策。国分寺や国分尼寺の跡、五重塔の跡などもある。歴史好きにはたまらないだろう。天平時代に想いを馳せてみる…。歴史音痴の私には少々馳せるのは難しい。

 資料館は壮絶に充実。下野市の超前身である下野国がいかに東国の要として朝廷から重要視されていたのかが伝わる。見たこともない巨大な馬型の埴輪などもたっぷりと展示。

 下野市は遺跡だらけらしく、工事の際の埋蔵文化財調査では必ず何かでてくるそうな。公園内には九州へと続く「防人街道」まであった。

 天平の丘を満喫した後は、鹿沼へ。蕨と桜。濃厚な春の気配を冠する店がある。居酒屋<わらび亭>とスナック<さくら>。令和5年2月中旬、この2軒に初ダイブした。メンバーは串カツJu-Soファミリー5人と。私は遠方に住む親戚の叔父的立場だ。

 <わらび亭>、おばんさいが泣ける。ほっこりと美味い。刺身、天麩羅、手羽唐も。すべての料理に旬を感じさせる。春めくにはしばらく先だが、暖かな風が体内を巡る。

 2件目は絶対にイチゲンダイブ不可っぽい<さくら>。ディープな夜桜である。1軒目で喰い切らんかった手羽唐の余り物を持ち込んでいる。ハイボール鯨飲。カラオケもガンガン。

 途中から久々にお会いした盟友・M越氏合流。氏と話し込んでいたらいつの間にか寝てしまった。起きたら氏はいない。切なさと寂しさをスパイスに冷えた手羽唐に齧りついた。

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古墳のオブジェ?超巨大。

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九州まで続く?防人街道

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国分寺跡?

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移築された古民家?

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味わい深い室内。

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テンピクニックの日替わり弁当

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おこたで打合せ

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鹿沼へ

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超絶に入りにくい

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このあと、私は爆睡

posted by machi at 10:51| Comment(2) | 栃木県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
拝啓
あどけないお顔で爆睡されていました。
お疲れかと思い、そっと去りました
               敬具
   
Posted by その節は at 2023年07月08日 22:33
その節は様

また鹿沼か宇都宮か栃木かどこかで呑みましょうね。
Posted by アヅマ at 2023年07月10日 09:07
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