2020年06月25日

第2472夜:あの日から25年〜第11回七厘会〜【札幌(北海道)】

 1995年1月17日午前5時46分。我が20歳以降の人生を一変させた阪神・淡路大震災が発生した時刻である。私はその時刻、札幌に居た。
それから24年364日14時間が経過した2025年1月16日19時46分。同じく私は札幌に居た。震災前後で違いは大きく3点ある。

 その一。1995年は札幌市民だったが2025年は神戸市民に戻ってしまったこと。その二。狸小路すぐ横の塩ホルモンの名店<七厘>を震災前は知らなかったこと。知ったのはそれから2年後の1997年夏である。その三。最も大きな違いは「七厘会」が発足していなかったことである。発足したのはたしか7年ほど前の冬である。

 規模の大小はあれど毎年1、2回の頻度で開催してきた北海道&札幌市商連青年部の塩ホル好き有志と私の狂乱の宴「七厘会」。2025年1月16日、ついに第11回目を迎えた。

 19時46分ごろススキノの定宿を出て<七厘>へ向かう。2階の窓側の席がもやは我が会の指定席状態。本会幹事長のY本氏をはじめ9名が参戦。

 塩ホルモン10人前からスタートし、メインホルモン8人前、デザートホルモン10人前。その間にラム肉3人前、アスパラバター2人前を挟む。U氷氏が注文する巨大おにぎりも定番だ。

 最初はクラシックの瓶をラッパ呑み。続いて鏡月をボトルで鯨飲。塩ホルはそのままでも抜群だが醤油とカットレモンで味を変えながらたっぷり4時間。お会計も激安。

 北海道&札幌市商連青年部の皆々様、いつもありがとうございます。七厘会も回を重ねるごとに新メンバーも加わるようにない拡大路線を続けている。

 かなり満腹だが2軒目はススキノ交差点近くで明け方まで開いている<丸山>へ5人で。焼酎のそば湯割りが旨い。

 札幌人、ラーメンだけでなく意外なほど蕎麦好きが多い。厳密にいえば、蕎麦好きというより「蕎麦屋呑み」好きが多い。深夜24時近いが、この店も流行っている。

 そば湯割りを鯨飲しつつ、ツマミは天ぷらそばのそば抜き。いわゆる「ぬき」である。天ぷらが別皿なのでそのまま熱々を齧ったり、出汁に浸したり。汁をツマミに焼酎。最高である。

 ススキノでヌキを頼む悦に浸っていると、最後は記憶がなくなった。

 翌朝。着替えようと思ったらジャケットとジャンパー以外の衣類がない。うん?……。記憶ないままホテルのコインランドリーにぶち込んでいたようである。慌てて乾燥機へ。しかし乾かす時間が30分しかなく真冬で生乾きのまま着用。富良野へ向かう。

 1995年1月17日朝5時46分は地震に気づかず前日の呑み過ぎで爆睡していた。それから25年後の1月17日朝5時46分も前夜の呑み過ぎで爆睡。人間、25年を経れば様々なことが変化し成長するものだが、私のダメっぷりだけは変わらないようである。世の中、平和であります。

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毎年ありがとうございます💛

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世界で一番好きかも。

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何喰っても安くて旨し。

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巨大おにぎりとU氷氏。

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2軒目の蕎麦屋にて。

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天ざるの「ヌキ」。
posted by machi at 10:18| Comment(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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