前職の新長田まちづくり会社に入社したのが1999年。2001年に地元商店街などが出資した叶_戸ながたTMO総括マネージャー(事務局長のようなもの)も兼務するようになり、その際に理事長が初代社長に就任。私が新長田を去るまでの約10年間、お仕えしたことになる。
会議終わりの際、理事長がフラリ事務所に夕方ごろ立ち寄られた際、一緒に他地区への会合に出かけた際……。数え切れぬほど酒席を共にさせていただいた。
当時の私は20代半ばから30台半ばにかけての小僧。毎回理事長にご馳走になった。2人だけで行くことよりも理事長からすれば下っ端たちと呑みに行けばお会計は98%の確率で理事長がお支払い。私は軽自動車どころか外車を買えるほどご馳走になっているかもしれない。
私が新長田を去って6年半が経過した秋。2016年の台風10号被害で商店街が大津波と同じように壊滅状態だった宮古市中央通商店街のS本姐さんが趣味とガス抜きに大阪に来られた。ぜひ新長田にも立ち寄っていただきたいと懇願。2016年9月下旬、姐さんの新長田視察が実現した。
私も久々にお会いする商店街の方々にご挨拶。私もだが、皆さんキッチリ当たり前だけど6年分年を取っている。店内で客をほったらかして相撲観戦中だった理事長にもご挨拶。御年82歳(らしい)。6年たってもそれほどビジュアルは変わらない。S本姐さんを囲む懇親会は私の大好きな鉄板こなもん店<喜楽>さんを予約しており、理事長に良ければ顔出してねと伝えた。
たっぷり歩いて視察した後は、我が盟友・スキンヘッドM好氏も参加して懇親会。M好氏も宮古復興支援チームの一員だった。シソチューハイを鯨飲していると理事長降臨。懐かしい話に華も咲く。毎晩飲み歩いているようで、記憶力の良さも衰えていない。
2軒目は一気に800mほど歩いてスナックへ。理事長は「ワシはそんな店に行ったことない!」と渋っていたが、入るなり早々ママやチーママから「ウ●ダさん、めっちゃ久しぶり〜!」。
理事長も秒殺で過去の走馬灯のように思い出したのか苦笑い。テンション上がった理事長はさらに馴染の店へ我々を連れて行くが、すでに閉店。洒落たバーでさらに4人でたっぷり呑み喰い。
ほとんど固形物を口にせず呑んで話すだけの理事長だが、S本姐さんが大阪のホテルに帰られた後も理事長の先導で3人で夜中1時まで。
こんな男は今後、新長田に輩出されることはないだろう。My Lord(我が主君)は、新長田のラストエンペラー。
ちなみに現在(2016年12月下旬)における港々のボスがいる私にとっての主君は、弊社社長を除き強いてお一人挙げるなら……。お仕えして5年半、岩手県宮古市末広町商店街のS香理事長(現相談役)である。

1軒目の<喜楽>にて。理事長降臨(一番右の紳士。まあ、注釈なくても分かると思いますが)。

2軒目のスナック<ホーム>にて。S本姐さん熱唱中。

S本姐さんがホテルに帰った後、4軒目<楽>にて。たぶん夜中1時頃。