秋田は氷雨が降り続き、骨の髄まで寒さが染みてくる晩秋の夜。雪に変わりそうな気配すら感じられる。道行く女性はマフラーをグルグル巻き、男性はコートの襟を立てている。当日、たまたま私は妙に多忙で昼食を取る間もなく、寒さと飢餓状態で発狂寸前に追い込まれていた。
秋田一の繁華街は「川反通」と呼ばれる。グツグツ煮えたきりたんぽを肴に、地酒をキュッとやる。秋田の英雄・サブマリン山田久●氏の投じる鋭いシンカーのごとく、私は数多くの店の前に張り出された料理メニューを、フラフラと沈み、横に蛇行しながら吟味していった。
私は、一人である。焼鳥屋や寿司屋なら全く問題ないが、鍋はハードルが非常に高い。一人焼肉のハードルが走り高跳びなら、一人鍋は棒高跳びほどの違いがある。
一人用小鍋のある店がベストだが、ガイドブックを持っていない私には、値段と店構え、数多く積んできた場数経験を頼りにカンで勝負するしかない。本格的郷土料理店ではなく、大衆居酒屋系なら一人鍋ならありそうだ。私の狙いが絞れてきた。
ネオンの下で、そこら中にきりたんぽの文字が踊っている。これだけ多いと、余計に迷ってしまう。しょっつる鍋も気になるが、一人で二鍋は、体調面でも財布面でも許されない。
大きな店の前に張りだされた1枚のPOPに、私の目が吸いよせられた。「県外からお越しの方、きりたんぽ鍋半額(1800円が900円に)」という趣旨の内容が書かれている。
きりたんぽ鍋の相場はサッパリ分からぬが、神戸在住の私は条件を満たしている。かなり大きな店だ。普段ならスルーしてしまう構えの店だが、きりたんぽモード全開の私にとって、きりたんぽ半額に勝るラブコールはない。私は<かまくら家>の暖簾を潜った。
店の名前の通り、多くの席が敷居やドアのある個室である。店内はゆったりとして、かなり広い。雪国らしく、かまくら風になったスペースも多い。寒い冬の雪の夜、屋外のかまくらの中で鍋を突きながら熱燗、という光景が即座に浮かんだ。
かまくらタイプではないものの、引き戸付き個室に案内された。一人なので恐縮するが、そもそもカウンターがなさそうだ。誰にも気兼ねせず落ち着けることは確実だが、一人暮らしの夕食と変わらないような気もするので複雑だ。
外は冷えているが、店内は充分に暖房が効いて暑いほど。オシボリの暖かさが顔のこわばりをほぐす。私は瓶ビールを注文した。一人個室は手持無沙汰なので、ビールを手酌して呑み干し、また手酌という一連の行為は、貴重な暇つぶしタイムである。
ビールが運ばれてくる間、本日のおすすめメニューに目にする。チラリと片隅に文字が飛び込んできた。「いか刺し 限定30食 90円」。〔次夜中編〕
限定30食。大きな桶に入った90円の「いか刺し」
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