爆弾魔。通常の火気(拳銃とか)と異なり、殺傷能力も被害も桁違いな鬼畜である。
中東などでは自爆テロのニュースを耳に目にする。平和極まりない日本においては火薬を保管しているような工場や倉庫が何らかの理由で爆発することはあっても、一種のテロ行為として悪意(または歪んだ正義)で爆弾を破裂させるという行為はまず起こらない。
少なくとも50年の我が人生でそのようなニュースをリアルタイムで眼に耳にした記憶はない。日本における爆弾事件など、映画以外でお目にかかることは令和時代にもないだろう。
平和に暮らしている一般市民は何も知らずに幸せを享受している一方、日常に爆弾魔は潜んでこまめに活動している。都心などに限らず、のんびりした地方都市においてでも。
ゴールデンウィーク明けの平日。午前中に栃木市役所でミッションがあり、両毛線で13時28分に佐野駅着。予定通りである。
ホームに降り立ち、エスカレーターで改札へ。改札を出て市役所方面口の階段を下りる。時間は13時30分ちょうど。階段を下りれば市の観光案内施設「ぱるぽーと」が屹立している。
両毛線は時間帯によっては1時間に1本ゆえ、私はこの施設の1階ベンチで電車待ちしながらPCしたり、トイレを拝借したりしている。
駅前のコンビニで煙草とメモ帳を買って市役所庁舎へ。私のミッション担当のY口氏と合流。彼女の運転で小雨降る中、車窓から空き店舗調査の現地ブラッシュアップに勤しむ。
令和4年夏から令和5年夏にかけて丸1年間、暑い日も寒い日も佐野市の広域な街なかを歩きながら調査を実施した。定期的に定点観測しなければ調査結果はあっという間に劣化する。新たにオープンした店、残念ながら閉店した店、内装工事中の店を車窓からチェックする。
歩きではなく、公用車。ノンビリしているようだが、凄まじく集中力が必要である。動く車窓から一瞬で変化を見抜き、停車することなくデジカメで撮影。
車のあまり通らない路地店なら徐行しつつまだ余裕があるものの、国道で徐行はできない。しかも公用車ゆえ「佐野市」と印字されており、かなり目立つ。
約2時間、全集中しながらも時折彼女と談笑。Y口氏はおっとり口調の癒し系美女。そんな彼女の柔らかな口調から、市の職員が前述の「ぱるぽーと」付近でバタバタしていることを告げられた。何故かと問うと、爆弾が仕掛けられたという予告電話が入ったという。
市の職員はその情報を把握しているが、無用な混乱を避けるため市民には避難勧告等のアナウンスはなされていないようだ。
絶句した。いたずらの可能性が極めて高いものの、万が一もあり得る。仕掛けられた(らしい)のは市内の観光施設のどこからしい。その候補に駅前のぱるぽーとも含まれている。
大丈夫なのか。さすがに引き気味で彼女に問うと、柔らかな笑みと口調で「もう大丈夫です。予告時間は1時(13時)半で、もう過ぎましたから」。
時計を見る15時を大きく回っている。いたずらのようだ。良かったわけではないが、無事で何よりである。
ふと気づいた。爆破予告の13時30分、私はまさに標的施設の真横に居た。もし爆発していたら、私はテロの犠牲になっていたのか。その時間帯、ぱるぽーと付近はいつもと何ら変わりなかった。電車待ちの市民、学生、サラリーマンなどでベンチは溢れていた。
Y口氏にそのことを伝えると、彼女は「いや、アヅマさん、どうするのかなぁと思って。どうしようもないし」。
もし事前に彼女から爆破予告の件を知らされていたら。1時間に1本の両毛線。12時半着にするか、14時半着にするか迷ったかもしれぬ。しかし、やっぱりいたずらだろうと予定通り13時半着に乗車しただろう。これが日本でなかったら…。
実は、地方都市の役所には爆弾魔の予告が意外なほど多いようである。佐野以外の地方都市でも同様の事例を聞いたことがある。
そもそも、何故佐野が標的になったのかが最大の謎ではあるけれど。恐らく、市民の犯行だろう。昼飯に啜った佐野ラーメンがたまたま不味かったのだろうか。カレーが辛すぎたからか。餃子が思ったよりも小さかったからだろうか。
佐野駅近くの注目スポット「二条通り」。
爆弾魔の標的。