人間(じんかん)五十年 下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり
巷間に伝わるO田信長氏のオハコ(十八番)の幸若舞「敦盛」の一節である。意味はあまり分かっていないが、私自身、この一文は昔から何故か心に刻まれていた。
まちづくり業界に飛び込んだのは1999年4月。24歳だった。神戸新長田で2010年3月までお世話になり、以降は北海道から沖縄まで多くの都道府県と御縁を頂いてきた。
年度によっては年間300泊ほどホテルを転々。飛行機もJALだけで四十数万マイル、よく利用するビジネスホテルのポイントも50泊以上無料になるほど溜まっている。
一般の会社務めと異なり、私は自宅事務所の超弱小独り親方。上司も部下もいない。独りである。自営業でもない「自由業」である。ゆえに、精神年齢だけが全く成長しない。その代わりに老眼の進行著しく、疲れが抜けにくく、代謝も落ちている。老化の流れは加速中だ。
まさか自分が50歳を迎えるとは。半世紀である。マラソンに例えるなら38qあたりか。私の不摂生なら最終競技場のトラックかもしれない。
誕生日など全く意識せず生活しているので、自分が50歳になったことを朝、知った。フェイスブックに寄せられたお祝いメッセージを見て。ただし、メッセージを送って下さった方の9割は私より恐らく年長者。皆さん、お元気である。
誕生日の3日前は春日部市内の武里駅東口の居酒屋で懇親会。2日前は午前中が佐野市、午後から小山市でミッション。夜は小山駅西口の私が生まれる前から愛され続けている老舗居酒屋で小山の盟友とサシ呑み。バースディイブ(前日)は宇都宮で懇親会だった。
50歳という日の朝を小山の定宿で迎えた。午前中は上三川町でミッション、午後から栃木市でミッション。20〜30代は毎晩呑み会で、夜中2時3時まで数軒ハシゴでも平気だった。今は(50歳)、3日もソトノミが続くと体力が続かない。ホテルで部屋呑みすることに。
酒は小山駅前の<ドンキ>で缶チューハイ、赤ワインと白ワイン、ウィスキーを入手。メインディッシュは栃木市役所1階の<東武百貨店>で仕入れた焼鳥、レバースタミナ焼、イモフライドッグ。笑みが漏れる。
ユニットバスに湯を張り、一日の、そして五十年の凝りを解す。テレビをつけると、プロ野球交流戦が数試合放映されている。私が選んだのは、野球でなく女子バレー(日本vsカナダ)。男女問わずバレー中継などいつぶりか分からぬが、女子は美人ぞろいに驚いた。
人生50年。20歳までは平々凡々だったが、以降は怒涛のアップダウンな30年。信長公は全国統一目前だったが、私はミッションに訪れたことがない都道府県が10県ほど残っている。
50歳を栃木県で独りで迎えるとは、数年前まで全く想像しなかった。夢、幻のごとくなり。
50歳の独り宴@小山駅前ビジネスホテル