2024年09月30日

第3511夜:西口駅前イルミネーションの流儀【春日部(埼玉)】

 武里西口駅前イルミネーション。「はっぴースマイルプロジェクトin武里」の一環として繰り広げられた光のイリュージョンである。

 武里エリアは春日部市内で最初にイルミネーションを設置した歴史を有する市内有数の商業地域。その点灯式が12月上旬の土曜に開催される。見逃さない選択肢はない。

 点灯式当日。特急で春日部へ向かう。あまりのポカポカ陽気に車内で爆睡。目覚めたら停止している。

 放送が流れた。すぐ先の沿線沿いの畑が火事になり、消火活動中のため運転を見合わせるという。アナウンス、一応詫びてはいるものの、ウチらには1oも責任はないけんね的ニュアンスが横溢している。

 畑が火事?焼き畑農業でないのか?点灯式に間に合うのか?

 不安でたまらぬが、どうしようもない。落ち着かぬ気持ちでフワフワしていたら、40分後に再起動。武里駅に16時半。点灯式イベント開始時刻だった。 

 イルミネーションの主催は武里西口名店会。武里東口商店会や武里平成通り商店会などの各商店会や武里地区の各自治会が協賛に名を連ねている。

 サンタの格好のスタッフが熱い珈琲を配って下さる。私も頂く。安堵感も手伝い、しみじみと旨い。会場には市職員だけでなく、春日部駅東口NEXTメンバーの姿も。

 西口名店会T中会長の名調子(司会)でスタ―ト。市長をはじめ来賓ご挨拶の後、いよいよ点灯セレモニー。冬の始まりである。

 今回は趣向を凝らしていた。来場者に抽選権を配布し、市長が抽選箱から札を引く。当たった方がイルミネーション点灯ボタンを押す。素晴らしいアイデアである。きっちりと市内のご夫婦が当選されていた。オッサン一人とかだったら目も当てられない。

 点灯した瞬間、一気に幻想が広がった。グッと来た。笑顔が漏れる。

 その後、自治会や商店会、リノベーション関係者、議員、大学生、そして市長までご参集された懇親会が東口<松葉寿司>で開催。私も末席に座らせて頂く。まさか最後の方で挨拶を仰せつかると思わなかった。普段接することのない業種の方とも少し歓談させて頂く。

 その後は東口商店会S田会長が経営する<小湊>へ。市の皆さまといろんな話をしながら鯨飲。会長秘蔵の黒糖焼酎が旨すぎる。そのまま会長のお店で3時間鯨飲し、お開き。市の方々と別れて私は定宿のある春日部駅西口へ。

 駅前のイルミネーションが美しい。冬の商店街を彩る光の祭典、つい立ち止まってスマホを向けてしまうものである。

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点灯式。

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武里駅西口イルミネーション。

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立食なら100人は軽く収容できそうな松葉寿司地下。

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東口商店会会長の居酒屋へ。

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この焼酎、旨い。

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春日部駅西口イルミネーション。

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2024年09月29日

第3510夜:アヅマ流かわちや兵法【会津若松(福島)】(後編)

 フリーになり14年目(2023年12月時点)。全国各地でアヅマ流兵法を磨いてきた。総菜・弁当コーナーの陣へ。

 どれも旨そうである。大充実である。手作りチャーシューに心惹かれぬなら、人ではない。

 気合のこもったPOPと占拠スペースを誇り、明らかに看板メニューっぽいのが「みっちゃんの愛情たっぷり弁当」。巨大な出汁巻玉子が2ヶ。ミンチカツや唐揚、ひじき、焼魚、会津産米…。迷わず籠に入れた。店内はこの「みっちゃんシリーズ」がいくつかある。

 POP曰く、みっちゃんとは「瀞流の宿かわち先代女将」。私が柳津に泊る際は100%この宿。毎回最高のおもてなしを堪能している。役得を噛みしめている。私がお世話になっているのは2代目女将だったのか。

 ソースカツ丼は会津名物。若松はそのまんまだが、柳津はご飯とカツの間に薄焼き卵が敷かれている。若松版は税抜288円、柳津版は328円。この場所は若松だが、本拠地は柳津。「会津柳津のソースカツ丼」もカゴに入れた。

 おむすびが気になる。豊富な具のバリエーションから「青唐肉みそおにぎり」「元気が出るにんにくみそおにぎり」各税抜138円もカゴに。しかし、こんなに食べられるのか…。

 ふと、アヅマ流兵法が解を弾いた。みっちゃん愛情幕の内を遅い朝食に、柳津ソースカツ丼を車内の遅い昼飯に、みそおにぎりは春日部で呑んだ後の深夜の夜食に。

 高揚してきた。脳内陣太鼓のスピードと音量が上がった。

 西若松駅へ。野岩線の会津田島行きを50分以上待たねばならぬ。寒いので、駅ホームの暖房の効いた待合小屋へ。50分前ゆえか、誰もいない。独占である。

 みっちゃんを取りだす。朝5時起きゆえ空腹。ガツガツ喰い進める。みっちゃんの愛情がたっぷり体内に注ぎ込まれた。

 会津田島で特急に乗り換え、川治湯元を越えたあたりで「会津柳津のソースカツ丼」。零れる笑みを押さえられず喰らいつく。

 これまで食べてきたスーパーのソースカツ丼系ではダントツ1位。玉子が無双のアクセント。量もたっぷり。カツも甘みがありジューシー。これで税抜328円は安すぎる。

 その夜。春日部でたっぷりと鯨飲した後、風呂に入って缶チューハイをカシュッ。かわちやの2種類の味噌おにぎりを頬張る。旨すぎて泣ける。会津地酒のカップを買うことを失念してしまい後悔が押し寄せる。

 おにぎりの勢いを保持したまま、会津田島駅で特急待ち時間30分の間にうっかり捕獲してしまった「ソースカツバーガー」もかぶりつく。旨すぎる。ただし、このバーガーだけはアヅマ流かわちや兵法から逸脱した予定外の奇襲だったけど。

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愛情たっぷり(無断撮影)。

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玉子なしの「若松」とありの「柳津」(無断撮影)

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西若松駅ホーム。

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愛情たっぷり弁当。

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安くてボリューム満点で冷えても旨し。

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深夜に春日部の定宿にて夜食。

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会津田島駅で捕獲した予期せぬ戦利品。

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2024年09月28日

第3509夜:アヅマ流かわちや兵法【会津若松(福島)】(前編)

 かわちや。会津柳津最強企業グループ「かわち」が展開する食品スーパーである。その若松店が西若松駅から徒歩10分ほどに位置。ドラッグストア「カワチ」と混同してはならぬ。

 14年間お世話になり続けた鰹、店街支援センターミッションが終わった翌朝。夜も明けぬ5時から会津若松の定宿でPC猿打。10時チェックアウト。さすがに腹が減ってきた。

 この日の朝昼兼用メシは決めていた。定宿の絶品朝食でも、朝7時から空いている定宿から徒歩10分弱の絶品ラーメン店でもない。スーパー「かわちや」の総菜または弁当である。

 会津若松へは5年間通った。その前の2年間は会津柳津へ。柳津では「かわち」グループに掛け値なくお世話になり続けた。

 グループ会長、社長、部長、女将、従業員、仲居…。スーパー「かわちや」だけが未踏であり、買物したことがなかった。最後の朝飯またはランチ、もしくは晩餐に相応しい。

 もう会津地方へ足を踏み入れることは生涯無いかもしれぬ。定宿をチェックアウトし、一歩一歩アスファルト路面を踏みしめつつ、店や看板など風景を目に焼き付けていく。

 左手に会津の魂・鶴ヶ城が見えようかというあたりで右折。お墓のようなスペースに石碑が。「山鹿素行生誕400年」と看板が立てられていた。江戸2代目将軍時代(1622年)に会津若松の山鹿町で生まれたとある。

 私が今まさに立っている場所が山鹿町らしい。知らなかった。そもそも山鹿氏が何屋さんなのか存じ上げなかったが「思想家」と看板にある。「日本道徳教育の父」とも。

 香ばしいが、凄い人なのだろう。兵学者としての顔は「山鹿流」。赤穂浪士討ち入りシーンで打ち鳴らされた(らしい)山鹿流陣太鼓は無知無学な私でもその高名を耳にしている。

 山鹿町を闊歩。超巨大病院を左折。<かわちや>が視界に入る直前、あるポスターに気づいた。「天海大僧正」。大河ドラマの主人公に起用されるための署名活動実施中とあった。

 大僧正は徳川初代から3代目まで仕えた知恵者とある。確か、ムー的世界では「天海=明智光秀」でなかったか。ポスターには会津美里町出身ご生誕とあるが、ムー系にとってはご生誕地は美濃あたりでないとつじつまが合わない。

 そんな平和な思想に蕩けていると<かわちや>着。巨大看板に「弁当 288円税別 朝7時30分より販売中!!」。どんな兵法よりも教義よりも力強い。現生の久徳である。

 店内はお客で溢れている。目視だが、レジ打ちを含め恐らく私(49歳)が最年少。5類になって7カ月、店内のマスク着用率は100%である。

 全国チェーンと違い、福島県産、会津産に拘りぬいた品揃えは孔子レベル。漬物、喜多方ラーメン、惣菜、地酒…。買いたい會津が目白押し。〔次夜後編〕

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山鹿流の聖地?

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大僧正ゆかりの地?

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スーパーかわちや。弁当288円の愛。

posted by machi at 03:09| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月27日

第3508夜:14年間の感謝を込めて【会津若松(福島)】

 椛S国商店街支援センター。2009年に産声を上げ、全国津々浦々の商店街や市場を伴走型で様々な面でご支援されてきた国家公認の特務機関である(はず)。

 2010年度から神戸新長田を離れフリーに。その年に商店街支援センター事業が本格起動。早速お仕事を頂戴することができた。当時の事業統括・F田姐さんは私の恩人である。このバカブログを始めたのは2010年6月。以来、今回のアップ内容まで二人三脚だった。

 時代を先取りしすぎた「現地マネージャー育成事業」から始まり、東日本大震災に起因する「被災商店街復興支援事業」、商店街のビジョンやプランを策定する「トータルプラン策定支援事業」、そのプランを実行する「トライアル実行支援事業」。そこから派生した「空き店舗総合支援パッケージ事業」。

 あらゆるよろず相談に対応する「よろず相談アドバイザー派遣事業」、天災人災からの復旧復興をサポートする「被災商店街復興ノウハウ提供事業」…。他にも様々な事業あった。

 北海道から沖縄まで、支援センターからの指令を受け、掛け値なしに飛び回った。センターが存在していなければ、フリーのまちづくり屋としての私は1oも存在していない。

 そんなセンターが惜しまれつつ令和5年3月に解体されることに。14年間も私はお世話になり続けてきた。この歳月は、小学校入学から短大卒業まで同じな超ロングラン。

 令和4年12月8日、私の14年間に及ぶ商店街支援センターミッション最終回。最後の舞台は福島県会津若松市・神明通り商店街。

 神明通りはトータルプランをきっかけに2年目から空き店舗対策事業へ移行。都合5年間コロナ禍でも通い続けた。私の支援センター業務を3区分すれば後期を彩った。

 終了後、4人で最後の懇親会。向かった先は我が定宿から30m程度の<あいべ>。初ダイブである。同行氏たちも初めてらしいが、店のママは当然のごとく皆さまをご存じだった。

 生(マルエフ)で乾杯。メニューが素晴らしい。酒も豊富でホッピーまである。目移りする。

 料理も安くて絶品だった。お通し3種盛も凝っている。手抜き1gもなし。

 かしら焼は「豚の頭」。焼とんの人気串。1ヶが大きく柔らかく絶品。全員首肯している。

 私が会津でハマった料理が「にしん山椒漬」。無双に酒に合う。土産物売場で見つけたら絶対に買う。保存も効く。この店は少し炙って出してくれた。風味が増していた。

 「銀杏」の入り具合も天晴で、豚レバーカツは柔らかく臭み皆無。おでんも串が刺さり出汁が染みている。唐揚もジューシーだ。熱燗に切り替えてピッチを上げる。

 鯖カンカンは鯖水煮缶を携帯コンロに移し替えた逸品。缶詰もここまで手間かけると絶品に昇華。絶対に自宅でやらない、やろうと思わぬ。楽したい缶詰の本質と逆行した旨さである。

 会津最強名物は「馬刺し」。辛子味噌で味わう。熊本の霜降りでなく上品な赤身。会津で毎月のように味わってきた。通いだして数年たってから知ったのだが、相当な高級品だった。

 〆は「焼きおにぎり」。私はそれほど好まないのだが、香ばしい匂いとセクシーすぎる焦げっぷりに降参。十数年ぶりか。前に食べた記憶がない。もしかすると、子供の頃以来か。

 熱々を手にかぶりつく…。前歯にカリっとした反逆。そして醤油の旨味が押し寄せ、熱くて甘い新米(たぶん)が押し寄せる。こんなに旨い食べ物だったのか。付け合わせの漬物も見事なアシスト。人肌になった熱燗で流し込んだ。

 最後の最後に素晴らしい名店と邂逅。もう会津は我が生涯最後かもしれない。最後の晩餐かもしれない。神明通り理事長、専務理事、若手理事に5年間のお礼を申し上げ店を出た。

 30m先は我が定宿。霧で霞んでいる。幻想的である。部屋に戻り、大浴場で凝りを解しベッドにもぐりこんだ。

 まだ太陽も顔を出さない翌朝5時。ポットで湯を沸かし、カバン常備のスティックインスタントコーヒーを飲みながらPC猿打。

 2杯目の珈琲を飲み終え、太陽が天に昇りだした7時半頃、会津若松のレポートなど一式をクライアントである椛S国商店街支援センターへ、ファイルを添付してメール送信ボタンを押した。送信トレイからフォルダが消えた。私の14年間が終了した。

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最後の晩餐。

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嬉しいお通し3種。

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会津で大好物になった「にしん山椒漬」。

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塩の上の殻付き銀杏は旨さ倍増。

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鯖缶も演出次第で高級感たっぷり。

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会津名物の馬刺し。おでんとともに。

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締めは焼おむすび。

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神明通り商店街の皆さま、5年間ありがとうございましあt。

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霧が煙る最後の夜。14年間ありがとうございました。

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2024年09月26日

第3507夜:北海道と日本のヘソ【富良野(北海道)】

 兵庫県西脇市。日本の「ヘソ」に位置しているそうで、北海道の「ヘソ」富良野市と超友好関係にあるという。同じ兵庫県民(神戸市民)だが、2023年冬まで全く存じ上げなかった。

 2023年富良野最後の夜。1軒目は6人で居酒屋へ。外に出ると雪が降りだしシバレてきたが、熱燗で心地よさも。しかし、路面は凍ってとても歩けない。2軒目はAキラ氏と<ニューラベンダー>。お帰り〜の声が嬉しい。

 熱燗をこってりヤった後ゆえ、暖房ガンガンの店内で呷る鏡月の水割が爽やか。本格焼酎(乙類)よりも甲類が北海道に合う理由を何となく体感する。

 ママが鯖味噌と胡瓜漬を出してくれた。味が染みて旨い。北国のスナックの醍醐味である。

 富良野オヤジのアキラさんは神戸までしか西へは足を運んだことがないという。ぜひ神戸に来てほしい。ご案内したい。その旨を伝えると、西脇へは2回行ったことがあるという。

 へ?西脇って、兵庫県の西脇市?するとママは3回行ったとおっしゃる。

 北海道の「へそ」に位置するのが富良野市。西脇市は何と「日本のへそ」に位置しているという。西脇市の人口は富良野の約2倍。しかし、姉妹都市関係を結ぶだけでなく、民間レベルでもライオンズ、ロータリー、JCでも頻繁に相互交流しているという。

 ママが西脇がどんなところか私に教えてくれた。敢えてここには書かないが、兵庫県神戸市でほぼ半世紀神戸オヤジの私が近隣の西脇のことを教えてもらうシュールさ。

 西脇といえば高校駅伝だが、それ以外のイメージ皆無。そもそも私は行ったことがないから全く分からない。車を所有していないので、生涯足を運ぶことはないだろう。

 Aキラ氏が「そして神戸」を唄って下さる。この歌、本人の原曲を聞いたことないが、鹿沼と富良野でアニキたちが歌ってくれる。さすがに私も覚えた。

 Aキラ氏のタクシーに私も便乗させてもらう。ママが帰り際に、ワインのボトルをお土産に豪快に私に手渡した。「ふらのワイン」の50周年記念ボトル。「富良野市内限定販売」とある。私の最後の富良野の夜。最高のお土産になった。

 翌朝。うつらうつらで起きたら7時半。シャワーを浴びる暇が無くなった。何故ならリニューアルされたコンシェルジュ1階<エベルサ>の朝食をご馳走になるから。

 支配人兼社長のA子氏にチェックインの際、朝食を食べて行ってとサービス券を頂いていた。珈琲やジュースはフリードリンク、分厚い富良野産小麦を使ったトースト1枚と新鮮な生野菜、それとパンの塗り材を1種、小鉢を1種選ぶことができる。

 ジャムではなく「北海道バター」、そして「玉子サラダ」を選択。朝起きて20分しかたっていないが、急がねばバスの時間に間に合わぬ。熱い珈琲を吞み、2杯目をセルフした頃、私の朝食が出来上がった。

 トースト、さくふわ。こんなに旨いのか。バターが芳醇で濃厚。熱いブラックコーヒーにたっぷりバターの焼きたてトースト。もうこれ以上何も望みません的コンビネーションがさく裂。それに卵が加わるのだから、天下無双である。

 A子社長にお礼を述べ、再訪を誓いながらチェックアウト。建物を出たらそこは旭川空港へ向かうバス停。ただし、6分待たねばならない。

 昨晩は雨で雪が解けていたが、寝ている間にビッシリ積もっていた。さらに雪が降り注ぐ。たまらなく寒いが、私は北海道の「へそ」に居るという実感を笑顔で噛みしめた。

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味わい深い「へそ歓楽街」。

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北国のスナックらしいお通し。

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50周年。

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朝からエナジー満点。

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お宿の真ん前のバス停。旅立ちの朝、いざ旭川空港へ。

posted by machi at 10:23| Comment(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする