2024年02月28日

第3367夜:新参者を受け入れる土壌【佐野(栃木)】

 創業事例集。私は佐野市内で創業された実業家たちへのインタビューを担当することに。事例集作成に向けた記念すべきトップバッターは、潟宴{ックス代表取締役・U田氏。アヅマ渾身の一人称文章起こし、ぜひご一読いただきたい(以下抜粋版)。

 20歳の頃、前職の社長と出会う機会があり、その場で佐野市内のコンクリート設計管理会社に採用が決まりました。コンクリートプラントの品質管理を担当していました。

 コンクリートも人間と同じで時が経ち環境によって病気になる(剥離・ひび割れなど)。コンクリ―トの状態を診断し、処方(提案)します。

 コンクリートや工場に関わる仕事は想定していませんでした。ただ、昔から独立志向はありました。全く別業種業態への転籍も考えたこともありました。昔の工場は今と異なり「見て覚えろ」の世界でした。資格の取得に力を入れながら業界紙などに目を通すと、こういう商売(コンクリート診断)の需要度が高くなっていることが分かりました。施工元の会社が実施する試験でなく、第三者機関が診断して客観評価が求められていることも。

 コンクリート診断士設計士はは栃木県内でも数人しかいません。全国で2千人程度でしょう。前会社とは円満に独立し、今でも毎週のように連絡を取り合っています。独立直後は前職の会社内に間借りしていました()

 佐野は高速のインターもあり、都内など関東近郊へのアクセスが良い。事業を営む上で佐野の魅力はアクセスの良さに加え、市役所の職員がいい人ばかり()。新参者でも仲間に入れてくれる土壌はあると思います。佐野で創業して良かったと思います。

 独立を考え始めて2年間はベース固めを行いました。建築関係の集まりに顔を出したり、会議所の創業塾を受講したり。様々な事業シュミレーションを組んでみました。しかし、あまりにもシュミレーションしすぎて分かりにくくなってしまった()

 いざ創業すると最初に思い描いたことと異なることばかりだから、何が起きてもいいようにシュミレーションしておくことですね。

 最初の2年間は大変でした。思いのほか、仕事が無い。前職時代の会社の前職の肩書が無くなると付き合いが変わることを実感しました。下請けの業者さんに断られることも多かった。会社の知名度も無く、代金を払ってもらえるのかどうか不安だったのでしょう。

 建築関係や土木事務所を110件は飛び込み営業しました。パンフレット中心に営業先に配り、置いて帰ることも。とにかく営業だけはしておかねばならない。

 私はとにかく外に出て、人に会い話すことが好きなので苦になりません。前職の知り合いにメールしたり、終わった現場に挨拶に行くなど、縁を繋げていきました。

 3年目から軌道に乗り出すと一人で回らなくなってきました。人材は定期でなくいつでも採用しています。1人前になるには1年間は掛かります。資格取得はもっと掛かる。人員が不足していることによる機会ロスも多く、先手を打って採用するようにしています。

 創業して5年、現在は約10名の従業員がいます。「社長、営業しすぎ」と社員から言われることも()。人材の育成と確保が何より重要で、課題でもある世界(業種業態)です。

 検査や試験には手動作業ではどうしてもエラーが多くなります。極力試験に手を加えないようにしていますが、人材を確保しないという意味ではありません。試験の精度向上には無人化ですが、人材の確保は不可欠です。

 お客様が喜んでくれたり、急な困りごとへの対応に感謝された時など、創業して嬉しく感じることですね。周りからは「大丈夫だろう」「自由だね」と言われることもありますが、常にプレッシャーはあります。今でも月に1度は会社がつぶれる夢を見てしまいます。

 外に出ること、営業活動が好きで、人と話すことも好きです。社交辞令のような場合でも、後日本当に会いに行きます。要は、仕事が好きなのでしょう。天職かもしれませんね。

 社名の「ラボックス」は、試験所を意味する「ラボ」と様々なやりたいことを一つの箱(ボックス)に、という意味を込めた造語です。

 前しか見ず、前向きに何でも考えて進んでいく。一方で、金(売上減少や資金繰り)が枯渇した時のことなども考えておく。とりあえず始めたら、やるしかないのですから。

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(付記)

このシリーズは佐野市役所ホームページに事例集として発信中。トップページから「創業者インタビュー」で検索し、ファイル形式を「PDF」に。よろしければご一読下さいませ。

posted by machi at 08:06| Comment(0) | 栃木県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする