2022年06月30日

第2963夜:3年間のご褒美【会津若松・猪苗代・本宮(福島)】(その4)

 24時を回った。大浴場は25時まで。2度目の露天風呂を思う存分満喫し、部屋に戻って戻って3次会。M越氏の持参日本酒や途中で捕獲したSントリーオールドをグビグビ。

 寝たのは夜中2時。私は普段1時間おきに目が覚めるが、朝まで目覚めることがなかった。

 温泉宿の大きな楽しみの一つは、朝風呂である。キリリとした冷気の中の、露天風呂。昨晩の酒だけでなく、1年間の疲労、そして栃木県ミッション3年分の澱が湯に溶けていく。

 朝食ビュッフェも前夜と変わらぬ質量だった。私は朝の8時に固形物を腹に入れることはない。普段は朝昼兼用で一食。その分夜は5食ほど何か腹に入れているかもしれない。

 昨晩なかったラーメンあった。喜多方ラーメンである。喜多方は会津若松から車で20分ほど。ラーメンの聖地である。朝7時から開いている店も多い。コロナ前、市役所の御仁に3度ほど喜多方まで朝ラーに連れて行って頂いたことを思い出した。

 ラーメンは2種類。醤油と味噌。喜多方系の王道は醤油。焼豚、葱、ナルトは別皿に。私は珈琲と醤油ラーメンを捕獲。

 ズルルルッ。……。私の中のスィッチがオンになった。一気に啜り込み、続いて味噌ラーメン。いくらがトッピングされている。

 ‥‥‥。あまりの旨さに降参。早朝勝手に喜多方醤油味噌対決、私は圧倒的に普段は醤油派だが、この朝は味噌に軍配。日本人が朝食に味噌汁を欲するのはDNAかもしれない。

 腹ごなしに鶴ヶ城へ。私は2度目である。朝9時台だが、観光客も見られる。ぐるり一蹴し、土産物を購入。私はニンニク入り黒胡椒。インスタントラーメンに合いそうである。

 下道で猪苗代湖畔を疾走。途中、会津名物である馬刺を購入。会津の馬刺はあっさりとした赤身で、にんにく風味の味噌をつけて味わう。

 毎月のように会津地方を訪問し、懇親会では当然のごとく馬刺が出てくるのであまり気にせずバクバク喰っていた。まさか、こんなに高級品だったとは。知らぬは何とやら、である。

 雨が降り出した。猪苗代を発ち、郡山に近い本宮へ。そこには<Aサヒビール園>がある。

 コロナ以降、北海道へ行けなくなった。必然的にジンギスカンを味わう機会も滅失。復活したアサヒの黒生をヤリつつ、ラム肉。懐かしさすら感じる。

 帰路は高速をひた走り、スタート鹿沼へ。大充実の25時間が終わった。

 今回の幹事役として獅子奮迅の活躍だったS氏に鹿沼駅まで送って頂く。宇都宮で乗り換えて大宮で途中下車。新刊コミックを買うついでに<力>で焼とんやヒレカツを捕獲。

 帰路の新幹線で3年間を噛みしめつつ溜まったポイントのグリーン車晩酌。焼とんやヒレカツをツマミに昨晩残りのサントリーオールド。マイ個室状態。マヨネーズも醤油もカバンに常備。

 私にとって、3年間のご褒美旅行だった。この6人が同じミッションで集うことは今後ない。数年前まで栃木県民に独りも知り合いがいなかった私にとって、最高の漢たちだった。

220630会津旅行I.jpg
朝ラー(醤油)。

220630会津旅行J.jpg
朝ラー(味噌)

220630会津旅行K.jpg
ピヨちゃんは朝から絶好調。

220630会津旅行L.jpg
高台より会津若松市内を一望。

220630会津旅行M.jpg
鶴ヶ城散策。

220630会津旅行N.jpg
猪苗代湖畔の気になるラーメンテーマパーク。

220630会津旅行O.jpg
馬刺しを買いに。

220630会津旅行P.jpg
本宮のビール工場。

220630会津旅行Q.jpg
お昼は黒生とジンギスカン。

220630会津旅行R.jpg
帰路の新幹線にて。
posted by machi at 10:05| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月29日

第2962夜:3年間のご褒美【会津若松・猪苗代・本宮(福島)】(その3)

 呑み食べ放題コースしかなければ迷わない。問題は、呑み放題が選択制の場合である。

 このホテルが秀逸な点は、グループ全員で呑み放題にせずとも良いこと。呑み放題の酒呑みはネーム?プレートを首から吊り下げ、呑み放題コーナーへ行き、スタッフに好みの酒をお願いする。グラスは交換制。そうでない紳士は卓上で普通に1杯づつ注文できる。

 呑み放題の値段はプラスで確か3000円を優に超えていた気が。生なら6杯、地酒なら4杯飲めばモトは取れるか。しかし、生を6杯も呑むと食べ放題どころではない。

 呑み放題と食べ放題の高次元な両立は、実はかなり高難度。私は酒を呑むとき(1軒目)はあまり食べず、2軒目、3軒目と時間が経つと空腹を感じてシメにラーメンなどを熊啜している。

 私は飲み放題を選択した。プレートに首にかけ、まずは生ビール。風呂上がりに無双。すかさず2杯目のお代わりに。人心地着いたところで、ビュッフェを攻める。

 広大な広さである。数えきれないほど種類がある。和洋中。デザートも凄い。この御宿、市外県外だけでなく市内の方も利用するという。そして、部屋食よりもバイキングがオススメと神明通り商店街の旦那衆に教示されていた。

 万全極まりないコロナ対策を心強く感じながら、少しづつ料理を取っていく。酒の肴になりそうなものを中心に。丼や麺類はスルーする。会津名物ソースカツ丼などは数え切れぬほど食してきたら割と余裕を持ってスルー出来た。

 料理の種類が多すぎていちいち記さないが、どれも出来立てで絶品。バイキング料理の枠を飛び越えた出色の出来栄えであった。

 私の眼前にはメンバー最年少の「ピヨちゃん」。彼の前にはライス日本昔話盛り、カツ丼、いくら丼、寿司、カレーライス、おかずやデザート30品ほど並んでいる。

 あっという間に空になっていく。何度も席を立って狩猟に勤しんでいる。喰っている時間より、狩猟時間の方が長かったのではなかろうか。ドン引きレベルである。

 口に運ぶたびに歓喜のため息をつきながら「ああぁ…」「旨すぎませんか」。

 彼はおかずなしに激盛のライスだけを平らげることができる。その時は弥生時代を思い浮かべるそうだ。よく分からないが、食べっぷりが気持ち良い。力士のタニマチになる気分を味わうことができる。

 私は生を2杯にし、ひたすら地酒をヤリ続ける。少しでも元をとるために、10種類ほどある会津の地酒の中で最も高額なブツに狙いを定めた。

 広大な広さのビュッフェ会場も、ほぼ我ら6人だけになった。大満腹大満足で部屋に戻り2次会。購入してきた大量のツマミに手が伸びぬ。あれだけ食べたのだから、当たり前だ。

 そんな中でも、ピヨちゃんは鶏皮チップスらしき揚物を食べ続け、スライスハムを10枚ほどまとめて丸かじりしている。圧巻である。最早「芸」の領域である。〔次夜最終〕

220629会津旅行F.jpg
どてらい男@。

220629会津旅行G.jpg
どてらい男A。

220629会津旅行H.jpg
たぶん、深夜2時前。
posted by machi at 08:59| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月28日

第2961夜:3年間のご褒美【会津若松・猪苗代・本宮(福島)】(その2)

 「水越ルート」とは何か。鹿沼から日光市内に入り、鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉を抜けて南会津へ。そこから下りつつ会津若松市内へ入るルートである。途中、凄まじいアップダウンがあり、優に100qはあるだろう。

 鹿沼から高速を使わず下道で会津へ向かうならば、最短ルートである。下野から会津への主要道といえないこともない。ただし、車であれば。これが「自転車」だったなら。

 全国初のシウマイ課長として栃木県内外にその名を轟かしているのが、K沼商工会議所のM越氏。半年以上前の真夏、私(とO山商工会議所S氏)が会津若松市の神明通り商店街で理事長や専務と歓談していたら、自転車で颯爽と現れた。

 全員度肝を抜かれた。車でも3時間かかるヘビーな山道を自転車で6〜7時間で走破。氏は私より2歳年上。タフである。お会いできた嬉しさよりもドン引き感が優った。

 M越ルートで南会津の手前までは車で訪れたことはある。その時でもすごい道だなと恐れ入った。3月下旬。平地は暖かだったが、M越ルートは残雪がたっぷり。生態系が異なっている。

 いくら走っても日光市を抜けられない。さすが日本で3番目に大きな市である。ちなみに私は鬼怒川を抜けて川治温泉あたりまでは2021年度だけで4回も通った。

 途中ドライブインで休憩を挟む。会津田島で「とうがらし味噌(にんにく入り)」を2ヶ捕獲。

 会津田島でしか何故か入手できない激辛の逸品。私は田島にピットインできたときはこの品を買い込む。我が家の冷蔵庫に常に常備。テイクアウトした焼鳥に塗って頬張るのがお気に入りだ。

 外は暗くなり、ようやく会津若松市内へ。神明通りが本店だったスーパー<Lオンドール>で酒とツマミを大量に捕獲し、18時半ごろ<御宿東鳳>着。たっぷり4時間は掛かっている。このルートを自転車で走破するとは。

 宿は金曜の夜ゆえかかなり混みあっていた。駐車場はほぼ満車。まん延防止が解除になり、経済が動き出していることを痛感する。地元の利用客も多そうだ。

 アラフィフとアラサーで2部屋に分かれ、浴衣に着替える。部屋は十二分に広く清潔。1部屋で6人は優に泊れそうだが、あえて3人で利用。金のない学生時代の団体旅行と異なり、オトナの余裕と貫禄である。

 大浴場へ。露天風呂は無限に浸かっていられる極上の至福。空を見上げれば星が煌めく。街なかに近いので夜空も周囲も明るめだが、それでも都会の夜空とは比較にならない。

 食べ放題ビュッフェ会場へ。オプション料金で呑み放題を選択できる。呑み放題の場合は首から「呑み放題90分(70分)」カードを吊り下げる。賑わう会場でこれを吊り下げるのは「いかにも呑むぞ」感がにじみ出すぎて少々恥ずかしい。そして、呑み放題の御仁はほとんど見かけない。

 ここに大きな命題がある。「食べ放題」と「呑み放題」の両立問題である。〔次夜その3〕

220628会津旅行B.jpg
第1弾。

220628会津旅行C.jpg
第2弾。

220628会津旅行D.jpg
第3弾(ラスト)。

220628会津旅行E.jpg
戦いを終えて。
posted by machi at 10:08| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月27日

第2960夜:3年間のご褒美【会津若松・猪苗代・本宮(福島)】(その1)

 東山温泉。福島県会津地方の須弥山・会津若松市内の温泉郷である。街なかから車でわずか10分ほどの好立地。改めて会津若松の充実とポテンシャルを思い知らさせる。

 数年前から会津地方と御縁を頂き、平均して月1回ペースで足を運んでいる。最初の2年間は会津柳津町、以降は会津若松市である。

 柳津も温泉郷である。宿泊は毎回「清流の宿かわち」。シゴトというよりたっぷりと旅行気分を満喫させて頂いた。絶品の食事や露天風呂、川霧煙る部屋からの幻想的な風景、そして真心溢れるおもてなしは今でも忘れることができない。

 会津若松では駅前か街なかのビジネスホテルを利用。東山温泉には市役所U月チームの面々に昼メシ(ソースカツ丼の名店)に連れて行って頂いた。ラーメンとソースカツ丼のセットに付いてきた小鉢が馬刺。驚愕したことを覚えている。しかし、東山温泉で宿泊したことはなかった。

 福島県は第6波によるまん防が一足早く解除されていたが、最後まで発令されていた都道府県の一つ・栃木県においてもまん防が明けたその4日後の朝。宇都宮市内でコロナ前から3年間に及んだ「とちぎまるごと創業プロデュース事業」の成果報告会が開催された。

 私は対象4市の中で鹿沼、小山、日光を担当。3分の2がコロナ禍でやり尽くした感で溢れているとは正直言い難いが、一定の達成感も。本業でないコトによく3年も継続できたという気がせぬでもない。

 3年に及ぶオペレーションが午前中に終了。そして、2021年度ラストミッションでもあった。神戸に戻れば2週間ほど急ぎ案件もなくダラダラ自宅で引き籠るだけ。お世話になった皆さまと打ち上げしたくとも、年度末の平日の正午過ぎからお付き合い頂けるわけもない。

 心に残尿感を宿していたら、この3年間で凄まじくお世話になり、最早盟友でもあるO山商工会議所S氏が温泉旅行を企画して下さった。

 氏が選定した旅行先は、会津若松の東山温泉<御宿東鳳>。氏が2か月前に会津若松の神明通り商店街を若手を引き連れて視察された際に利用されたお宿である。お風呂、そしてビュッフェの充実を絶賛されていた。ただし、氏と私の2人だけでなく、6名集まればベストという。

 早速氏と私で手分けして声がけする。年度末、そして翌日は土曜とはいえ平日。正直誰も乗ってこないと半分諦めていた。ところがフタを開けてみればきっちり6人集まった。

 商工会議所(O山・K沼)の課長2名に、本事業に関わった有望極まりないアラサーの若手3人名。そしてヨゴレまちづくり屋の私。

 組織も立場も年齢も異なるアラフィフ3名+アラサー3名の野郎6人の打ち上げ隊が結成された。自由業の私以外、全員が組織的半休を取った。O山のS氏などは全休だった。

 宇都宮をバラバラに出て各自所用を済ませ、鹿沼で集合。1台の車で会津若松へ向かう。高速は使わずに下道で。通称「水越ルート」である。〔次夜その2〕

220627会津旅行@.jpg
いざ、会津へ。
posted by machi at 09:03| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月26日

第2959夜:初めての「客」【鹿沼(栃木)】

 初めての店。知人に連れて行っていただく場合は安心感もあり期待感が強めである。一方、独りで飛び込む場合は幾分の緊張を強いられる。ハズレもあれば、大当たりも。特に自分で支払いをする場合は一喜一憂の度合いも高くなる。

 栃木県のまん防が解除されてから3日後、木曜の夜。鹿沼の<串カツJu-So>へ足を運んだ。解除されたのは3日前だが、Ju-Soは木・金・土の3日間限定営業なので実質は復活初日である。

 コロナ禍の2020年11月下旬オープン。直後に緊急事態宣言やまん延防止が頻繁に発令された。私はコロナ前の2019年から栃木県内に月6日に滞在ペースだった。しかし、鹿沼へは何故か水曜がほとんどだった。

 Ju-Soへは月2回ペースで訪れた。ただし、1階の串カツではなく2階のロフトで飲食と全く関係ないオペレーション。2階の物置には盟友・Ⅿ越氏から寝袋を永遠にカリパチしている。

 Ju-Soの絶品串カツや逸品料理を堪能した経験はある。ただしそれは、オープン前の試食会や、休業日に身内で借り切りであったり。通常営業日に「客」として足を運んだことはなかった。

 ちなみに私は<Ju−So>の立ち上げに関わった(土地と建物を取得した)が経営に全く関与していない。今の立場は「大家」である。

 普段は18時オープンだが、再開初日ゆえ準備の関係から18時半オープンとなった。私はオープン前に2階のロフトで2年間お世話になったN光市役所のツートップと打合せ。その最中、1階が一気ににぎやかになった。オープンと同時に客が押し寄せたようである。

 大家としても嬉しい限りである。どんなお客がおられるのだろうか。打合せを終え、オープンから30分後、日K市役所の御両人と1階のカウンターへ。私を含め3人分席を確保してもらっていたので無事着座。それでほぼ満席になった。見渡すと、ほぼ全員私の親しい知人だった。

 生ビールで御両人と乾杯。さっそくほぼ毎日Ju-Soに通って頂いている超常連様が御両人におすすめ料理や注文方法などを丁寧にレクチャー。

 店長や親しい知人たちは2年連続温泉旅行に行った仲。私は「初めての客」なのだが常連のような雰囲気を醸し出しているのだろう。私のことなど当然知らない常連様やシフトに入っている初めてお会いしたバイト嬢などは「誰だコイツは?」とさぞ不審がられたことだろう。

 N光市の御両人は揚げたて串カツや肉吸いうどんを満喫され、終電に間に合うように脱兎のごとく店を出られた。御両人とは13時間後に宇都宮市内で同じ会合に出席予定である。

 店じまいが終わった。Ju-Soメンバーやバイト嬢、常連様たちと<パブリックハウス六本木>へ。またJu-Soに戻って美魔女2人と夜中3時前までカウンターでド鯨飲。

 翌朝。2階のロフトで目覚めたと同時にピヨちゃんのお迎えが。5分で荷造りして宇都宮へ。

 午前中に3年間のオペレーション完遂。ただ、二日酔いで自分で何を話しているのか頭に入ってこなかったが。自分自身の酒臭さがマスクの中で充満し、ますます具合が悪くなる。

 午後からは完全な自由。鹿沼に戻り<ラーメン山いち>へ。天気最高。ただド二日酔いで食欲ゼロだったので、屋外のオープンデッキで生ビール2杯の迎え酒である。

220626鹿沼@.jpg
知人ばかりのカウンター。

220626鹿沼A.jpg
「客」として初めてだが、1年キープしているバカボトル。

220626鹿沼B.jpg
店の常連さんやJu-Soチームと2次会。

220626鹿沼C.jpg
翌昼の迎え酒は何度も味わってきたラーメンの名店のオープンデッキで。
posted by machi at 08:26| Comment(0) | 栃木県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする