私のような西日本人にとって、会津若松は一生に一度行くかどうか。私は2017年から毎月のように足を運んでいる。
2021年度のセカンドミッションは会津若松からいったん帰宅し、その翌日に伺った福岡県北九州市・若松商店街(筑前若松)だった。年度代わりの真っ最中、私は独り若松祭状態だった。
4月上旬、今年度一発目の会津若松は桜が満開。神明通りに隣接し、気の毒に喫煙所になっている蒲生U郷公の墓所も見事な咲きっぷりである。
ダブル若松(会津&筑前)では新規出店応援プロジェクトを展開中。コロナ禍においては計画づくりに集中し、2021年度はコロナ禍を勘案しながらも着実に事業を実践していく予定である。
12日ぶりに神明通り商店街にて「Make Active Street〜空き店舗ゼロプロジェクト〜」検討終了後、会津無双のエスニック料理店<ハジャイ>で黒生、喜多方の地酒を鯨飲しつつ絶品料理に舌鼓。ハジャイに月1ペースで通うようになりエスニックの虜。箸で切れるステーキに感動。
会津若松は代々徳川家への忠義を尽くした譜代のイメージがあった。初代藩主・保科公、ラスト藩主・松平公など。では、江戸以前の会津若松はどんな街だったのか。
神明通り商店街の旦那衆にお聞きするともう一つよく分かっていない雰囲気だったが、太閤殿下(豊臣H吉公)が会津の街を作られたという。
大河ドラマなどを観ていると、秀吉公、天下統一前は「筑前」と呼ばれている。羽柴筑前守。筑前といえば、福岡県北九州市の戸畑と枝光の間ぐらいから西。ちなみに東は豊前。北九州若松は筑前。思わぬところでの太閤繋がりである。
会津若松にて満開の桜を愛でた2日後。筑前若松にて新規出店者応援プロジェクト「若松高まる みんな二重まる」検討ミッション終了後、市役所&会議所の紳士淑女たちは5人以上の会食超厳禁ゆえ、商店街の旦那衆と居酒屋でハイボール鯨飲。料理はお任せでガンガン。
2軒目は半年ぶりぐらいに弊社九州支店(スナック ショコラ)。久々に深夜2時前まで鯨飲。
若松には豊前国の旦過市場再整備プロジェクトの中核を担う新会社「旦過総合管理運営梶vT中常務もオブザーバーとして特別参戦。T中常務ともかれこれ7年以上のお付き合いになる。北九州の盟友の一人である。
会津若松とは御縁を頂き間もなく2年。筑前若松とは10年になる。年々御縁が濃厚になりつつあり感謝一択。個人的な「独り若松祭」、これからも絶賛開催中。皆さま、会津と筑前の「若松」に来らっせ。

会津若松は満開。

会津の地酒とステーキ。

筑前若松の取組。

筑前若松で大人気居酒屋。

筑前若松のスナック。
(付記)
それから約10日後、北九州(豊前・筑前)から8時間かけて会津若松へ直行。<ハジャイ>のエスニック料理、最早分類不能の圧倒的な旨さ。地酒を浴びるようにノドに放り込んだ。




