10月上旬の時点で私の肌間隔では新幹線はまだ3割程度だが、飛行機は減便中といえ1機当たりの搭乗率は増した。出張族はあまり見かけず、圧倒的に目視推測だが老若男女な観光客。しかし心の底から弾けたウキウキ感はあまりなく、一抹の後ろめたさを漂わせている。
ウィズコロナ時代の経済流動。外国人はほぼいない。1年前のビフォーコロナ時代には戻れぬが、いっそインバウンドなどなかった10年以上前に戻るべきかもしれない。ただしその時代は人口は減少していなかった。人口減少社会のソコヂカラが試される。
北九州小倉で2連泊する機会があった。初日は黄金市場商店街の若旦那2名と門司駅前へ。コロナ後に初<ふじ>。生でノドを開き、枝豆とトマトスライスでウォーミングアップ。
鶏ももステーキ、皮、ずり……。にんにくが大量。エナジーが沸き起こる。ビンビンである。手羽先の絶品ぶりは言わずもがな。酒が進み過ぎる。
門司のドン・S氏も合流。社労士先生も乱入。一気に場が盛り上がる。S氏が何故か3本も同じ焼酎をボトルキープしており、ガバガバ遠慮なく頂く。半身揚げのボリュームは圧巻。おにぎりもシンプルで旨し。皿に残る魔法の塩をつけて頬張ると泣けてくる。
門司の2軒目(または3軒目)は当然<アンジェリーク>。我が西郷バカボトルも健在。
この夜はママと美女2名。バックネットちゃんが前回以上に大弾け。下ネタもここまで爽快だと気持ち良い。常連客たちも濃厚極まりない。ひたすら笑いっぱなし。我らオヤジたちもメロメロのタジタジ。実力のある店はどこもよく流行っている。中心部から離れるほどに。
翌日は朝から夕方まで北九州商工会議所にカンヅメ。創業塾が開催されていた。軽く定員に達したという。景気が悪くなるほど創業希望者は増える傾向にある。
昼は数年前に一緒に釜山旅行した会議所のO中氏とばったり喫煙コーナーで会ったので、すぐ近くの<風風ラーメン>で醤油。店は並んでいる。豚骨より神戸人の私には醤油である。
日が暮れ始めてから7人で呑み放題ドリンク自分作りな焼鳥屋へ。2軒目は<ムーラン>。最後は会議所M氏と魚町のバー。途中、いっぱいで入れなった店も。
漏れ伝わる情報では、小倉の中心部でも売上が前年並みに回復した店もかなり増えてきたという。全国に先駆けてコロナ第2波で名をはせた北九州。出口はどこよりも近そうだ。
氏と別れ、ホテルにトボトボ向かう道すがら、急に便意を催した。じわじわではなく、ド直球である。危機的状況である。激しくマンホールの内側からノックしてきた。
私は魂魄の力を下腹部と括約筋と内腿筋に込めた。ホテルが永遠の遠さに感じられる。加齢とともに括約筋の衰え著しく、絶対のホテルまでもたない。先ほどの店にも引き返せない。
絶望しながらヨチヨチ歩きで浅香通りへ。7-11がすぐ視界に。トイレは使えるか…。使えた。しかも「空き」の青だった。使用中の「赤」なら絶望し、ドアを蹴破って損害賠償を請求されるか器物破損で逮捕されていた。
ただしドアに張り紙が。従業員に一声かけてほしいとある。とてもレジまで歩けないので私は震える声で「すいません…トイレぇ」と呻いた。若い男性店員は「どうぞ〜」。
祝祭が鳴り響き、天国に上った。私は御礼代わりにポケットバーボンとホットケースからコロッケをチョイス。かぶりつき、バーボンをグイッとラッパしながら深夜1時の浅香通りを歩いた。喧騒からの静寂。私の下半身はコロナ以上の危機を脱した。

名店。

豪快。

半身。

狂乱。

西郷。

蟹身。

風風。

懇親。

懇談。

魚町。