<トリップショットホテル・コザ>。沖縄市センター商店街(パークアベニュー)にある「へんなホテル」(オーナー談)である。
GOTOの恩恵か一気に日本人が国内を流動しだした10月中旬。パークアベニューミッション前に「へんなホテル」にチェックイン手続きした。
オーナーのSゲ氏は人脈凄まじく映画をはじめ様々な事業のプロデューサー。パークアベニューにて<トリップショット>というcaféバーを経営しており、その上層階がホテル。
沖縄県中部(私にとっては沖縄市・宜野湾市・北谷町)滞在時の定宿は沖縄市胡屋地区のビジネスホテル(デイゴホテル)。実に快適で気に入っている。
9月にSゲ氏と御縁を頂いた際に「へんなホテル」を予約した。どうせ泊まるなら、ミッション先のお世話になっている方を頼るのは人間としての普遍的道理である。
スタッフの方に案内された。あれ、2階ではないのか。店の前の信号を渡ると、ドアがあった。10ほど部屋があるそうで、私が案内されたのは「RED」。
ドアを開けるとすぐに階段が。両横の壁にはびっしり寄せ書きというか落書きというかメッセージが書き込まれている。1ドル札も貼り付けられている。良かったら自由に書いてくださいねとのこと。本物の1ドル紙幣も手渡された。
階段を上がると、もう一つドアが。入室。……叫んだ。目を剥いた。なんだここは。
アンティークな造り。3人掛けソファーが2つ、巨大なソファーが1つ、ダブルベッドが2つ。4人掛けテーブルもある。
我が家より広くて設備が充実したキッチン。冷蔵庫、電子レンジ、フライパンなどの調理器具、乾燥機付き洗濯機……。風呂とトイレはもちろん別。すべてを足すと私の自宅マンションより広い。昔のレコードも壁に飾られている。
この部屋はもともとキャバレーだったそうで、Sゲ氏がリフォームしてホテルに。元キャバレーのホテルなど未経験。少々のことでは驚かない私の度肝を打ち抜かれた。
Sゲ氏を中心とした若手商業者たちとの充実ミッション終了後、重鎮たちも加わりSゲ氏が経営するcaféバーへ。百軒とおり会Tクマ夫妻につられて私もオリオン生とハイボールを大ジョッキ。この店のチキンサンドは掛け値なしに絶品。アメリカンな気分を満喫する。
店内でなくオープンデッキで皆さんと談笑。日中の蒸し暑さも緩くなり、絶妙の外気。酒も肴も話も弾む。いきつけのお店がどこも閉まっていたのでAキラ氏と<パナマ原人>という私も数回足を運んだ居酒屋の店頭でレモンサワーと豚キムチ。
REDルームに戻る。広すぎて落ち着かない。ベッドではなくソファーで爆睡。
翌朝。チェックアウトしようと荷造りし、着替えていたらジャケットがない。部屋のどこを探しても見つからない。部屋が広すぎてどこかに隠れたのか……。
もしかすると、昨晩のトリップショットのcaféバーに忘れているかもしれない。しかし、私はチェックイン時にジャケットを脱ぎ、そのまま着ることなく夜を過ごしたはず。案の定、カフェバーに行ってもジャケットがない。
Aキラ氏が車で迎えに来てくれた。氏に開口一番ジャケットを無くした旨を伝えようとしたら、よくわからないが昨晩Aキラ氏が私のジャケットを何故か部屋から持ち出して持ち帰っていた。無事回収。トリップショットというより「トラップ」ショットな気分である。
魔宮への入り口。
壁面も個性的。
驚愕。
絶句。
絶品のチキンサンド。
毎月ありがとうございます。
路上にて。
落ち着かない。
2021年02月03日
2021年02月01日
第2617夜:アフターコロナの槌音【小倉(北九州)】
シルバーウィーク。2020年9月下旬の4連休あたりから一気に人が動き出した実感がある。10月からGoTo対象がついにお江戸まで拡大され、勢いはグンと増した。その割にバカウィルスの感染者は一定のままで爆発増加していない。経済との両立を念頭にここまで図面を描き切った天才がおられるのだろう(これを書いたのは4カ月前)。
10月上旬の時点で私の肌間隔では新幹線はまだ3割程度だが、飛行機は減便中といえ1機当たりの搭乗率は増した。出張族はあまり見かけず、圧倒的に目視推測だが老若男女な観光客。しかし心の底から弾けたウキウキ感はあまりなく、一抹の後ろめたさを漂わせている。
ウィズコロナ時代の経済流動。外国人はほぼいない。1年前のビフォーコロナ時代には戻れぬが、いっそインバウンドなどなかった10年以上前に戻るべきかもしれない。ただしその時代は人口は減少していなかった。人口減少社会のソコヂカラが試される。
北九州小倉で2連泊する機会があった。初日は黄金市場商店街の若旦那2名と門司駅前へ。コロナ後に初<ふじ>。生でノドを開き、枝豆とトマトスライスでウォーミングアップ。
鶏ももステーキ、皮、ずり……。にんにくが大量。エナジーが沸き起こる。ビンビンである。手羽先の絶品ぶりは言わずもがな。酒が進み過ぎる。
門司のドン・S氏も合流。社労士先生も乱入。一気に場が盛り上がる。S氏が何故か3本も同じ焼酎をボトルキープしており、ガバガバ遠慮なく頂く。半身揚げのボリュームは圧巻。おにぎりもシンプルで旨し。皿に残る魔法の塩をつけて頬張ると泣けてくる。
門司の2軒目(または3軒目)は当然<アンジェリーク>。我が西郷バカボトルも健在。
この夜はママと美女2名。バックネットちゃんが前回以上に大弾け。下ネタもここまで爽快だと気持ち良い。常連客たちも濃厚極まりない。ひたすら笑いっぱなし。我らオヤジたちもメロメロのタジタジ。実力のある店はどこもよく流行っている。中心部から離れるほどに。
翌日は朝から夕方まで北九州商工会議所にカンヅメ。創業塾が開催されていた。軽く定員に達したという。景気が悪くなるほど創業希望者は増える傾向にある。
昼は数年前に一緒に釜山旅行した会議所のO中氏とばったり喫煙コーナーで会ったので、すぐ近くの<風風ラーメン>で醤油。店は並んでいる。豚骨より神戸人の私には醤油である。
日が暮れ始めてから7人で呑み放題ドリンク自分作りな焼鳥屋へ。2軒目は<ムーラン>。最後は会議所M氏と魚町のバー。途中、いっぱいで入れなった店も。
漏れ伝わる情報では、小倉の中心部でも売上が前年並みに回復した店もかなり増えてきたという。全国に先駆けてコロナ第2波で名をはせた北九州。出口はどこよりも近そうだ。
氏と別れ、ホテルにトボトボ向かう道すがら、急に便意を催した。じわじわではなく、ド直球である。危機的状況である。激しくマンホールの内側からノックしてきた。
私は魂魄の力を下腹部と括約筋と内腿筋に込めた。ホテルが永遠の遠さに感じられる。加齢とともに括約筋の衰え著しく、絶対のホテルまでもたない。先ほどの店にも引き返せない。
絶望しながらヨチヨチ歩きで浅香通りへ。7-11がすぐ視界に。トイレは使えるか…。使えた。しかも「空き」の青だった。使用中の「赤」なら絶望し、ドアを蹴破って損害賠償を請求されるか器物破損で逮捕されていた。
ただしドアに張り紙が。従業員に一声かけてほしいとある。とてもレジまで歩けないので私は震える声で「すいません…トイレぇ」と呻いた。若い男性店員は「どうぞ〜」。
祝祭が鳴り響き、天国に上った。私は御礼代わりにポケットバーボンとホットケースからコロッケをチョイス。かぶりつき、バーボンをグイッとラッパしながら深夜1時の浅香通りを歩いた。喧騒からの静寂。私の下半身はコロナ以上の危機を脱した。
名店。
豪快。
半身。
狂乱。
西郷。
蟹身。
風風。
懇親。
懇談。
魚町。
10月上旬の時点で私の肌間隔では新幹線はまだ3割程度だが、飛行機は減便中といえ1機当たりの搭乗率は増した。出張族はあまり見かけず、圧倒的に目視推測だが老若男女な観光客。しかし心の底から弾けたウキウキ感はあまりなく、一抹の後ろめたさを漂わせている。
ウィズコロナ時代の経済流動。外国人はほぼいない。1年前のビフォーコロナ時代には戻れぬが、いっそインバウンドなどなかった10年以上前に戻るべきかもしれない。ただしその時代は人口は減少していなかった。人口減少社会のソコヂカラが試される。
北九州小倉で2連泊する機会があった。初日は黄金市場商店街の若旦那2名と門司駅前へ。コロナ後に初<ふじ>。生でノドを開き、枝豆とトマトスライスでウォーミングアップ。
鶏ももステーキ、皮、ずり……。にんにくが大量。エナジーが沸き起こる。ビンビンである。手羽先の絶品ぶりは言わずもがな。酒が進み過ぎる。
門司のドン・S氏も合流。社労士先生も乱入。一気に場が盛り上がる。S氏が何故か3本も同じ焼酎をボトルキープしており、ガバガバ遠慮なく頂く。半身揚げのボリュームは圧巻。おにぎりもシンプルで旨し。皿に残る魔法の塩をつけて頬張ると泣けてくる。
門司の2軒目(または3軒目)は当然<アンジェリーク>。我が西郷バカボトルも健在。
この夜はママと美女2名。バックネットちゃんが前回以上に大弾け。下ネタもここまで爽快だと気持ち良い。常連客たちも濃厚極まりない。ひたすら笑いっぱなし。我らオヤジたちもメロメロのタジタジ。実力のある店はどこもよく流行っている。中心部から離れるほどに。
翌日は朝から夕方まで北九州商工会議所にカンヅメ。創業塾が開催されていた。軽く定員に達したという。景気が悪くなるほど創業希望者は増える傾向にある。
昼は数年前に一緒に釜山旅行した会議所のO中氏とばったり喫煙コーナーで会ったので、すぐ近くの<風風ラーメン>で醤油。店は並んでいる。豚骨より神戸人の私には醤油である。
日が暮れ始めてから7人で呑み放題ドリンク自分作りな焼鳥屋へ。2軒目は<ムーラン>。最後は会議所M氏と魚町のバー。途中、いっぱいで入れなった店も。
漏れ伝わる情報では、小倉の中心部でも売上が前年並みに回復した店もかなり増えてきたという。全国に先駆けてコロナ第2波で名をはせた北九州。出口はどこよりも近そうだ。
氏と別れ、ホテルにトボトボ向かう道すがら、急に便意を催した。じわじわではなく、ド直球である。危機的状況である。激しくマンホールの内側からノックしてきた。
私は魂魄の力を下腹部と括約筋と内腿筋に込めた。ホテルが永遠の遠さに感じられる。加齢とともに括約筋の衰え著しく、絶対のホテルまでもたない。先ほどの店にも引き返せない。
絶望しながらヨチヨチ歩きで浅香通りへ。7-11がすぐ視界に。トイレは使えるか…。使えた。しかも「空き」の青だった。使用中の「赤」なら絶望し、ドアを蹴破って損害賠償を請求されるか器物破損で逮捕されていた。
ただしドアに張り紙が。従業員に一声かけてほしいとある。とてもレジまで歩けないので私は震える声で「すいません…トイレぇ」と呻いた。若い男性店員は「どうぞ〜」。
祝祭が鳴り響き、天国に上った。私は御礼代わりにポケットバーボンとホットケースからコロッケをチョイス。かぶりつき、バーボンをグイッとラッパしながら深夜1時の浅香通りを歩いた。喧騒からの静寂。私の下半身はコロナ以上の危機を脱した。
名店。
豪快。
半身。
狂乱。
西郷。
蟹身。
風風。
懇親。
懇談。
魚町。