2018年05月09日

第1941夜:大・成・功【宮古・釜石・遠野・花巻(岩手)】(前編)

 「まちづくりくろさき」。北九州黒崎の活性化を縁の下から下支えするまちづくり会社である。そのツートップ(入E氏&U野氏)から宮古滞在中の早朝、携帯に着信が鳴った。釜石滞在中であり、宮古へ向かっている途中という。二人とも私と同様の鯨飲野郎。酒量は半端ない。

 本来なら二人と宮古で鯨飲したいが滞在時間は正味90分で釜石にとんぼ返りせねばならぬ。久々に酒を酌み交わせずに残念だが、ミッション開始時間までならご案内できそうだ。

 入E氏は大津波の年の秋の復興市にて、現地マネージャー育成事業の研修の一環として宮古入り。被災者を元気づけるべく「一人よさこい」をステージで演舞したが、あまりのシュールさに宮古人が誰もついていけずダダ滑り。その夜の懇親会で落ち込んでいた姿が思い出される。パンチU野氏は初の宮古入りだ。

 私は毎週のように北九州へ通っているが、黒崎を拠点としているお二人となかなかお会いできる機会がない。まさか、宮古で会えるとは。ちなみに両氏が北九州に帰られた翌日、私は追いかけるように北九州入りする。

 小雨降る商店街をご案内。特に入E氏にとっては懐かしい御仁たちと邂逅。宮古ラーメンを啜っていただきたいが、早朝ゆえ空いている店は魚菜市場のみ。私は煮干しラーメンのあっさり、お二人はこってりをウミネコ啜し、車で10分のウミネコ飛び交う浄土ヶ浜へ。

 何故か暴風雨。観光バス2台停まっていたが、観光客はみなゲストハウスに引き籠り。ウミネコのミャーミャー叫ぶ声を聴きながら浄土ヶ浜を発ち、街中に送ってもらって再会を誓う。

 その翌朝。私は盛岡経由で花巻空港へ向かう予定を変更し、釜石経由に切り替えた。お二人と生ビールをヤるためである。お二人は私がとっくに7時半のバスで盛岡へ向かっていると思い込んでいる。私は7時半のバスに乗ったとFBに記したが、行先は書いていない。たまたま同じ時間に釜石方面へ向かうバスが全く同じ7時半出発だった。

 ちなみにJR山田線および釜石線は復活せず、三鉄に移譲することが決まったらしい。現在(2018年2月現在)は宮古〜釜石間の公共交通はバスしかない。しかも直通がなく、思いっきり路線バスで<道の駅やまだ>で乗り換えねばならない。

 所要時間は2時間15分。距離は50qだが、その倍の宮古〜盛岡間バスと同じ時間掛かってしまう。ちなみに宮古駅から釜石駅まで乗りっぱなしだったのは私一人だ。

 志願兵として北Q州市役所から釜石市へ出向しているK本氏が駅に迎えに来て下さった。氏の車でお二人が泊っているホテルへ。さあ、ドッキリの始まりである。

 私は黒のコートのフードをかぶり、後部座席にシレっと座っていた。二人がワゴン車のトランクを開けて荷物を詰め込む。私は思いっきり見えているはずなのだが、黒フードが座席と一体となり気付かないようである。仕掛け人の私もドキドキだ。〔次夜後編〕

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黒崎のお二人が宮古を急襲。

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浄土ヶ浜。

posted by machi at 12:08| Comment(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする