2017年04月28日

第1689夜:We Love 折尾 スィーツプロジェクト【折尾(北九州)】

 「ビスコッティ・レガーロ」。北九州最強の文教地区・折尾を統べる折尾商連が開発した「おりをろまん」シリーズ第2弾スィーツである。

 折尾愛真高校製菓コースと共同開発したシリーズ第1弾は高校生が放課後活動で製作するため常に品薄。北九州空港お土産ランキングで5位になっていたのをたまたま見かけたが、生産が全く追いつかず幻のスィーツと化していた。

 折尾最強の名物といえば、駅弁マニアの間では知らぬもなき「かしわめし」が無敵。しかし、日持ちの問題等を勘案すると折尾土産としての汎用性は希薄である。

 折尾住民が土産として全国各地にプレゼントしたくなるような、折尾への出張族が思わず手に取ってしまいたい、そして、少し高級志向の女性をターゲットにしたスィーツ第2弾を製作できないか。構想●年、製作期間も1年をほぼ要したプロジェクトが発足した。

 私と折尾の関わりも数年になる。西日本屈指の巨大総合整備事業が進捗中の折尾において、折尾商連と新たに生まれ変わる街の中でどのように商業機能を高めていけるかが私の折尾での与えられたお題だった。ところが2016年度、いきなり商連と地元高校との共同スィーツ開発プロジェクトの軍師的立場を仰せつかった。

 これまでも新たなご当地グルメ開発のお手伝いらしきことは経験済だが、スィーツは初めて。何故なら、私が甘いモノが得意でないからである。旨さの質などサッパリ分からない。凄まじく甘いか、それほど甘くないかしか我がバカ舌では判別不可能である。

 試作開発、販売戦略、ターゲットの選定、2度の試食会と2度のモニタリング調査、アンケート分析、パッケージおよびロゴデザイン公募、価格設定……。私が関わったのは2017年1月末まで。その時点では新スィーツの完成一歩手前、パッケージデザインの候補選定までだった。

 それからさらにブラッシュアップを重ね、ほぼ完成に近づいたようである。私の知る限り、商品名は「アモーレ折尾」だったが、いつの間にか「ビスコッティ・レガーロ」に。2017年1月時点での私の感想だが、パッケージは限りなく「白●恋人」に、商品そのものは六●亭の「マル●イバターサンド」に近い。しかし開発メンバー曰く、それらを遥かに凌駕した出来栄えという。

 販売開始は2017年1月末時点でGW開けだったと記憶する。冷凍せねばならないので販売店では冷凍庫が必要。折尾駅舎が新しくなれば構内の売店で販売も検討するそうだ。

 おりをろまんシリーズ第2弾。甘いモノに1oも興味がない私だが、軍師として開発に関わった以上は期待が大きく膨らむ。

 北九州市内最大の土産物売場は恐らく新幹線小倉駅構内だろうが、常に疑問に思うことがある。「小倉名物」「門司港名物」「折尾名物」はあっても「北九州名物」という表記を見かけない。それはともかく、当面のライバルはマスコミで話題沸騰の八幡名物「ネジチョコ」かもしれない。

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試食会。

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対岸道路の通行人にも試食呼びかけ。

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モニタリング調査。
posted by machi at 08:21| Comment(0) | 福岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

第1688夜:私はウサちゃん【若松(北九州)】

 うさぎ。ミ●フィーに代表されるように、可愛らしい動物の代名詞である。少なくとも、東北では仙台四郎氏、関西ではY本新喜劇の某座長や●野・兵頭のH頭氏、九州では西郷隆盛氏、沖縄では生粋の沖縄人と思われている私とは最も縁遠いイメージである。

 ある冬の夜。北九州若松でミッション終了後、いつものように我が麺友・U島氏たちと呑みに行くことに。ただ、牛J氏たちの「たち」がいつものオヤジメンバーと異なる。U島氏の奥様と御令嬢と4人で呑むことになったからだ。

 幼稚園か小学生かすら失念してしまったが、まだまだ幼くも少しオマセな御令嬢はお絵かきが趣味のご様子。我らオッサン2人や奥様がガンガン呑み喰いしている間も、何かお絵かきをされている。見ていて微笑ましく、目尻が下がる。

 私は御令嬢に、私の似顔絵を描いて下さるようリクエストした。御令嬢は笑顔のまま一心不乱に筆を走らせる。そして、満面の笑みで私に手渡した。

 ……。私は目を剥いた。呆然と口が半開きになった。そこには、うさぎの絵が描かれていた。その横には「うさちゃん」という但し書きも。私とは1oも似ていない。

 御令嬢曰く、私はうさぎに似ているという。これまで似ていると言われた動物は、トド、セイウチ、クマ(可愛くないリアルなタイプ)、タヌキなど。ウサギに似ているなど生まれてこの方一度も言われたことがない。そして、死ぬまで言われることもないだろう。

 それからしばらく時が経過。2月14日というモテない私には全く関係ない日に若松へ足を運んだ。そんな私だが、チョコを3つも捕獲した。

 一つ目は若松の定宿のフロントでホテル受付嬢から頂いたチョコ。私だけでなく当然だが男性宿泊客全員にお配りされているご様子。2つ目はU島氏の奥様&御令嬢から。ウサちゃん大感激である。そして3つ目は若松呑みの我がルーティン<ショコラ>のママからである。

 ショコラへ足を運ぶ頻度は平均月1回だろうが、神戸市民としてはかなり多いと推測される。そして何故か、毎月ボトルを入れている気がする。私は毎回バーボンをキープしている。

 何となく棚を見た。数は極めて少ないが私の最も愛するスコッチ「ラフロイグ」をキープされている御仁がおられる。小売価格だけで判断すれば、私がキープしている銘柄の3倍以上する。

 ママにラフロイグのボトル代をお聞きした。……。神戸からほぼ毎月通っていること、ウサちゃんと命名された夜は店がたまたま休みで入れなかったこと、当夜はバレンタインデーであることなどをクドクド申し上げ、格安で今後ラフロイグをキープしていただける交渉を成立させた。まあ、このような交渉に勤しんでいる時点で私がモテることは今後もないだろう。

 ウサギといえば、私はススキノ交差点から見えるバニーガールしか連想できない。あとは、食材としてのクリームシチューぐらいか。こんなヨゴレの黒ウサギだが、U島氏の御令嬢は10年後も私の似顔絵を可愛く書いて下さるだろうか。

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U島氏の御令嬢が激筆した私の肖像画。

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交渉成立。
posted by machi at 06:45| Comment(0) | 福岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

第1687夜:南千歳駅「ほっきめし」【Ekiben】

 「ほっきめし」。北海道の苫小牧駅にて主に生息している有名駅弁である。調整元は<まるい弁当>様。苫小牧名物ではなく「北海道名物」と表記されている。道内屈指の実力駅弁だ。

 苫小牧は日本一「ほっき貝」が獲れる産地らしい。北寄貝(ほっきがい)の学名は姥貝(ウバガイ)で、「ほっきがい」はアイヌ名「ポッキ」から由来しているという。「ボッキ」ではないので発音にはくれぐれも注意が必要だ。

 北海道の池田駅から特急で新千歳空港へ。約2時間半、2016年8月の台風10号災害で一部区間が不通になり代行バスを余儀なくされていたが、4か月ほどでようやく復活。ただし、池田駅から新千歳空港までの直通はなので、空港から一駅離れた南千歳駅で乗り換えねばならない。

 10時半頃、南千歳駅着。乗換待ち時間約10分。駅ホームに駅弁専用売店を見つけた。恐らく道内最大最強の駅弁品揃えは天下の札幌駅だが、時間帯によっては売切続出。日本各地の主要駅と比較しても種類は少ないほうだ。よってあまり期待せず南千歳駅の売り場を覗いた。

 ……。思わず目を剥いた。駅弁マニア垂涎の「ほっきめし」が苫小牧から這い出して南千歳まで泳ぎ着いているではないか。迷わず捕獲。レトロ基調の掛け紙が歴史と風格を感じさせる。

 南千歳駅から新千歳空港までわずか1駅なので車内摂取は困難。しかも混んでいる。空港着後、飛行機搭乗まで30分。搭乗口ソファーで頬張る時間もなさそうだ。プレミアラウンジで無料生ビールをヤリつつ楽しむ作戦は最初から放棄。夜にミッションを控えているからだ。

 駅弁を抱えて飛行機に乗る。この日は条件付フライト。私が午前便だったので何とか飛び立てたが、午後便はすべて欠航。午前便も条件付のためかキャンセル続出のようで機内は空いている。

 離陸後約10分。ベルト着用サインが解除された。座席テーブルも使用可能に。私は7時に起きてひたすら特急移動してきたので空腹である。

 CAさんの飲み物サービスが始まった。私は「ほっきめし」を取り出し、掛け紙を外した。炊込み飯の上に大きなほっき貝がたっぷり。貝の仄かなピンク色がセクシーである。桜漬のピンク色も絶妙のアシストしている。

 ほっき貝は北海道では回転寿司の定番ネタだが、本州ではあまりお目にかからないような気がする。つぶ貝と混同してしまう時がある。

 澄まし汁がわりのコンソメスープをCAさんにリクエスト。箸を手に取り、まずはほっき貝を口に運ぶ。……。シコシコした食感の後、貝特有のミルキーな旨みと絶妙に炊かれた出汁が口の中で充満。思わず目を細めてしまう。

 出汁の効いた炊込み御飯も天晴な味付け。シンプルな駅弁だが、奥と底の深さは果てしない。貝系駅弁を愛する私には1000点満点の高みである。

 窓の外を眺める。思いっきり天候が悪いので、海ではなく雲海が広がっている。空と海。雲と貝。海を眺めながらではなく、雲海を眺めながらの「ほっきめし」。SFチックなシチュエーションも味のスパイスである。

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上空1万メートルにて。コンソメスープを味噌汁代わりに。
posted by machi at 07:32| Comment(0) | 駅弁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

第1686夜:駅前旅館越冬隊【池田(北海道)】

 T正館。このバカブログで幾度となく乱筆させていただいた北海道池田町の池田駅前の屹立する昭和どころか大正レトロ溢れる旅籠である。推定年齢80オーバーの大柄なオババ様が一人で切り盛りされている。

 私は2017年2月時点で6回もこの旅籠のお世話になったが、常に客は私一人。池田町は北海道屈指の極寒地だが、旅籠室内は外気と変わらぬ冷凍庫である。

 池田町中心街は飲食店が充実しており、レベルの高さも大雪山級。ハズレどころか、思い出すだけで胃がキュンキュン鳴いてしまう絶品店ばかりである。

 ある1月の夜。池田町商工会の未来を担うT屋氏、Y田氏、事務局M上氏と初めて池田入りした際に感動絶頂した<寿楽の息子>さんへ。屋号のセンスは独特だが、掛け値ない料理レベル。

 池田町スタイルの「ロゼロック」(氷の入ったジョッキに池田産ロゼワインたっぷり)を痛飲しながら絶品料理に舌鼓。お通し(鹿肉・コロッケ)、コンビーフポテトフライ、椎茸焼、豚焼、クエ天ぷら、もつ鍋&〆麺、メンチカツ、オニオンリング゙、ゆりね揚……。地産地消な池田の恵みを思う存分満喫。特に椎茸焼に魂が揺さぶられた。

 池田町で呑む際は、ほぼ同年代である私を含めたこの4人がレギュラーメンバー。皆さん個性的かつ味のある漢たちでド酒呑み。毎回夜中2時ごろまで鯨飲してしまう。

 Y田氏のファッションセンスは極上だ。池田町のおしゃれ貴族と呼ぶにふさわしい。この日もどこかの外国の路地の露店でしか見かけないようなアディ●スのロゴが思いっきりプリントされたトレーナーを優雅に着こなしている。

 池田町でド深夜まで開いている飲食店は限りなく少ない。私の知る限り、商工会副会長が営むパブ<ホイリゲ>さんのみ。しかしこの夜は何かのご都合で店は閉まっていた。

 時間は24時を回っている。外は恐らくマイナス20度ぐらい。コンビニで酒を買って外呑みすれば死んでしまう。私は、我が定宿での2次会を提案した。スーツケースの中にジンのボトルを忍ばせている。<寿楽の息子>で紙コップを4つもらう。準備万端だ。

 客は私だけだから迷惑にならぬはずだが、オババ様に見つかってはならない。もし見つかれば、おそらく全員分の宿泊費を翌朝私に請求してくるだろう。

 ドアをこっそり開ける。超アナログなドア備え付けベルがリンリンと冬空と館内にこだまする。全員声と足音を忍ばせて潜入。無事私の部屋に辿り着いた。

 この旅館、謎に満ちている。我が部屋には写らないブラウン管TVとそのリモコン、大きなガラスケースに入った2体の日本人形。部屋は暖房どころかストーブがなく、廊下のストーブを勝手に持ち込むと燃料代(500円)を別途請求される。風呂はオババ様と共同使用で追い炊き。歩くたびに畳がきしむ。朝起きると室内なのにペットボトルの水が半分凍っている。

 常に客は私一人なので他の部屋は知らないが、どのような構造になっているのだろうか。夜中1時過ぎ、急遽アラフォー4人でT正館越冬探検隊を結成。携帯画面の明るさを頼りに館内(2階)を息と声を殺し、超忍び足で探検する。

 思った以上に部屋が多い。しかし、数年間誰も利用していないことだけは伝わる。妙な間取り、変なカーテン……。かなり怖い。完全にお化け屋敷だ。

 部屋に戻りジンで乾杯。室内だが吐く息が思いっきり白い。耐寒力に優れた池田っ子ですら部屋の寒さに慄いている。Y田隊員がウトウトし始めた。寒さで死が近づいているのだろう。このままでは凍死してしまう。必死でY田隊員を起こし、夜中2時過ぎに探検隊は解散した。

 何とか凍死を免れた翌朝。オババ様にチェックアウトの挨拶をする。オババ様は笑顔で送りだして下さる。燃料費以外の追加料金は請求されなかった。深夜1時から2時にかけてかなり騒がしかったはずだが、オババ様が気付かなかったはずはない。眠りが深いのだろうか。それとも、一時的に冷凍睡眠して仮死状態に陥っていたのだろうか。

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おしゃれ貴族たちと乾杯。

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池田町の椎茸に瞠目。思わずおかわり。ポテトフライも無敵。

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肉汁あふれる池田町産ミンチカツ。

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池田町産オニオンフライ。ツマミに無敵。

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柔らかくジューシーな池田町の豚肉。

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もつ鍋のシメはもちろん麺。

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吐く息も白き越冬隊。
posted by machi at 08:08| Comment(2) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

第1685夜:ラーメン大将の1番セット【札幌(北海道)】

 <ラーメン大将>。札幌北18条と北24条で腹をすかせた大学生や肉体労働者、若手サラリーマンたちの胃袋を満たし続けている大衆中華食堂である。

 私も札幌に住み始めた時、最初の頃はよく通った。とにかくボリュームが凄かった。そして、安い。味は明らかにアルバイトが作っている時と熟練店員が作っている時で同じメニューとは思えぬほど異なっていたが、御愛嬌というヤツである。

 ある冬の札幌の11時過ぎ。ホテルをチェックアウトしたものの、道東方面に向かう特急列車出発まで3時間の余裕時間が生まれた。私の札幌時代のソウルフード<山岡家>でネギラーメンを啜ろうかと考えたが、頻繁に通う北九州(若松)に日本最西端の支店が存在することを知り、それほど山岡家一択モードではなくなっていた。

 ススキノの昼は閑散とし、狸小路で昼飯を食った記憶がほぼない。札幌駅前は再開発で様変わりしすぎてさっぱり馴染がない。ふと、<ラーメン大将>が頭をよぎった。時間はたっぷりある。

 20年ぶりに懐かしの味を満喫するプランが頭の中で充満。地下鉄南北線で北24条へ向かった。私は北18条より北22条店の方を愛用していた。

 念のためにスマホで営業時間を検索する。11時からだった。それは想定通りだが、住所が北25条に代わっている。移転したのだろうか。

 北24条に降り立ち、ネットで検索した住所を目指す。札幌の中心部は碁盤の目で表記が分かりやすいので、迷うことがない。目的地に到着。やはり移転していたようだ。外観も新しい。

 店内へ。……。まるで50年以上商売を営んでいる古びた雰囲気に驚愕。壁面メニューを見る。……。懐かしい。単品の定番は肉みそラーメンか肉チャーハンだろう。定食も豊富で、特に目立つのが1番から10番まである10種類のセットメニュー。

 私が最も愛していたのが「1番セット」である。チャーハンとワンタンスープ。850円である。20年前の価格は覚えていないが、それほど値上がりしていないだろう。

 店内ポスターは学園祭や寮祭、サークルのコンサートなど。懐かしい。学生だけでなく老夫婦や私と同年代のオッサンもガンガンワシワシ頬張っている。

 ブツが出てきた。……。こんなに量が多かっただろうか。チャーハンはどう見ても2人前。ワンタンもスープではなく普通のラーメン以上のボリュームがある。

 卓上紅生姜を駆使し、喰らいつく。……。20年ぶりの1番セット。こんな味だった。想い出に美化されることなく舌の記憶は明敏だった。しかし半分ほど平らげた後、いきなり苦しくなった。舌の記憶は変わらぬが、私の胃の許容量が学生時代と比べ明らかに貧相になっている。

 それでも気合で完食。苦しい。外に出るとアイスバーンで歩道ツルツル。喰い疲れを感じながらすぐ近くのケンタ●キーへ。

 阪神大震災の(たしか)前日まで、このKFC北24店でバイトしていた。震災の年以来だから、22年ぶりに足を踏み入れる。今のバイトさんたちは当時生まれてもいなかっただろう。

 特急乗車まで1時間以上。ホットコーヒーを呑みながら窓の外を眺める。北24条は我がセイシュンの、約束の地。精神は20年前にタイムスリップするが、ラーメン大将1番セットの圧倒的迫力と昔を懐かしんでしまう我が日和ぶりに、20年分の老いっぷりを噛みしめた。

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1番セット。

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懐かしのメニュー群。
posted by machi at 07:46| Comment(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする