2016年09月25日

第1546夜:ヘドロの中の光【宮古(岩手)】

 5年前。東日本大震災大津波の被災者(特に三陸宮古の中心市街地)が二度とやりたくないとコボしていた復旧作業は何か。「ヘドロ掃除」である。

 東日本大震災発生から2か月後に宮古入りした私は、商店街や消防団の皆さまと朝5時過ぎにともに商店街側溝のヘドロ掃除をお手伝いさせていただく機会を得た。掃除もそうだが、石板を外したりハメたりするだけでクタクタになる。匂いも強烈で、ドロドロになった作業ズボンは洗濯しても効果なかった。数あるお手伝いの中でもかなり印象に残っている。

 2016年8月30日頃、台風10号が宮古の商店街を席巻。特に被害が大きかったのが中央通商店街。その中でも被害最大級が事務局長S本女史のご自宅。車も廃車の憂き目に。店舗でもないのに悲惨としかいいようがない。しかし、S本姐さんは自宅の掃除を後回し。商店街事務所や植栽の復旧を優先させていた。頭が下がるという安易な表現では言い尽くせない。

 台風被害から依然として片付かない約2週間後の坂本邸。私は14時のミッション開始まで、朝10時から坂本邸側溝のヘドロ掃除をお手伝いさせていただいた。長靴を履かず、あえてズボンの裾をまくりあげてスリッパというある意味無邪気なスタイルだ。

 ヌルヌル滑る足場をスリッパで踏ん張り、スコップを突き刺す。グッと腰に力を入れ持ち上げて横にはねる。……。水を含んだヘドロは凄まじく重い。ひとかきするたびに異臭が鼻をつく。足もスリッパもドロドロだ。

 普段使わない筋肉が悲鳴を上げる。大きなヘドロをすべて掻きだした後は、さらに細かい側溝に詰まったヘドロを小さなスコップで掻き出していく。ひとかきごとに巨大なミミズや見たことのない虫がクネクネ現れ。私の素足で這いまわっている。

 永遠に終わらないと思ったが、何とか正午過ぎにヘドロをすべて掻き出した。後は土嚢袋に詰めるだけ。S本邸の復旧に応援に来られていた熟女2人は休むことなく力仕事に精を出し、土嚢袋も平気で担いでいる。恐るべし宮古熟女パワーに圧倒される。わが身の情けなさを呪う。

 少し休憩して昼食に。こんな日はたっぷりとラーメンである。中央通にほど近い<たらふく>さんは9月17日時点で再開しておらず、その先の<ぴかいち亭>さんへ。

 この店のチャーシューメンは絶品である。今朝から久々に体を激しく動かした。午後もたっぷり汗をかかねばならない。私はチャーシューメンの大盛にワンタンを加えた「チャーシューワンタンメン大盛」というメニューにない裏コマンドを作動させた。

 出てきたブツは洗面器サイズ。スープが煌めいている。後半は苦しくなったが、無我夢中で熊啜。スープ1滴、チャーシュー1片、麺1本、ワンタン1枚残らず我が細胞と同化した。

 腹をさすりながらお会計の際、マスターと少し話した。何故か満面の笑みである。台風の被害をお聞きすると、かなりの浸水被害だ。いつから再開したのか尋ねると「今日から」とのこと。台風被害の落ち込みよりも、商売を再開でき、ファンが再び店を訪ねる喜びの方が大きいのだろう。笑みの理由が何となく理解できた。

 マスターのガッツと笑みをみて、疲れ切った私の体に再び光が差した。何かの力が蘇った。ヘドロの土嚢袋詰め。よしっ!一つどころか100ヶ以上の気合が入った。

160925ぴかいち亭@宮古@.jpg
チャーシューワンタンメン大盛。最高。

160925ぴかいち亭@宮古A.jpg
再開した<ぴかいち亭>さん。

160925坂本亭@宮古@.jpg
恐るべし宮古熟女パワー。

160925坂本亭@宮古A.jpg
側溝のヘドロ除去掃除。

(付記)
今回ご紹介した宮古市中央通商店街の守護神・S本姐さんが阪神大震災の被災地・神戸新長田へ昨夕(2016年9月25日)ご来臨。私が案内役を務め、御視察いただく。夜は前職時代の盟友・スキンヘッドM好氏と新長田南地区商店街の「ラストエンペラー」U田翁でご歓待。御年82歳ながら夜中1時ごろまで5軒ハシゴするラストエンペラーの元気ぶりに驚愕。S本姐さんが少しでもリフレッシュして宮古の復旧復興にこれからも光輝かれることを祈念いたします。
160925宮古坂本さん@新長田@.jpg

160925宮古坂本さん@新長田A.jpg

160925宮古坂本さん@新長田B.jpg

160925宮古坂本さん@新長田C.jpg

160925宮古坂本さん@新長田D.jpg
posted by machi at 10:58| Comment(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月24日

第1545夜:不屈の花【宮古(岩手)】(後編)

 朝7時に八戸中心部のホテルを発ち、9時過ぎにJR終点の久慈駅着。久慈駅は4年前に一度訪れた。あまちゃんフィーバーの前である。三陸鉄道乗換に90分もある。駅前はレスキュー隊や災害復旧ボランティアさんたちが黙々と復旧作業に勤しんでいる。久慈駅前は津波被害を受けなかっただろうが、駅前商店街はかなりのダメージを受けたようである。

 駅弁マニアの間では超レア垂涎の久慈駅弁「うに弁当」を捕獲し、三鉄に乗り込む。宮古まで約2時間。4年前に三鉄に乗車して久慈に向かった際は完全復旧しておらず、途中バスで移動した。今回通しで乗車するのは初めて。車窓は防潮堤の工事が進められていた。

 5時間以上かけて愛する宮古到着。まずは末広町商店街を歩く。被害がひどかった店も再開したようである。見た目には災害の傷跡は分からない。

 お店に飛び込んで商店主たちから被害を聴く。皆さん床上浸水がほとんどだが、大津波の経験が活きており、商品は高い所に移動させたようだ。もちろん被害の大小はあれど、電気も水道も無事だったようで比較的早期復旧されたという。

 そして、被害甚大だった中央通へ。ヘドロが渇くと粉塵が舞い、目がショボショボする。私が2011年5月に初めて宮古入りした際も黄砂の靄のようなものがかかっていたことを思い出す。

 足を踏み入れた瞬間、不思議な違和感を覚えた。お店は特に被害の大きかった1店舗を除き再開したという。細かいところは台風の爪痕は残っているが、2週間前に訪れた際とあまり変わらない。

 この「変わらなさ」に最初感じた違和感の正体に気付いた。中央通商店街が大津波前から整備し、大津波以降は修復だけでなくさらに強化して宮古市民に潤いと癒しを与え続けてきた「花香る散策路」が無事だったのだ。プランターには美しく花が咲き誇り、路上の植栽は土にヘドロをかぶっているものの青々とした緑の葉が生い茂っている。

 植栽は、生き残っていた。

 店主たちにヒアリングする。皆さん、前向きに笑顔で話して下さる。「もう笑うしかない」のが本音なのだろうが、大津波からの復旧復興経験が活かされている。

 わずか5年の間に発生した大震災の大津波と台風10号の水害。この両方で甚大な被害をダブルパンチで受けたのは、私が知る限り宮古市の中心部だけである。

 台風で水没した際、27ヶあったプランターはすべて四方遠くに流されたが、そのうち23ヶを回収。流れ着いた先から中央通に連絡があったという。それだけ認知浸透されてきた。

 大津波は海なので塩分を含んでいるが、今回は川なので塩分がなかったことが植栽の枯れを防いだという。まさに奇跡。商店主もこれからも「花香る散策路」に力を注いでいくという。まさに「不屈の枯れない散策路」。新たな聖地の誕生である。

160924台風10号被害@(中央通).jpg
四方に散ったが回収されたプランター。

160924台風10号被害A(中央通).jpg
「枯れない不屈の散策路」。

160924台風10号被害(マツイ).jpg
かろうじてセーフ。

160924台風10号被害(オールス).jpg
商品をすばやく高い所へ。

160924台風10号被害(ベニヤ).jpg
転んでも ただでは起きぬ 宮古人

(付記)
大津波だけでなく台風災害からもいち早く再起し、当初予定していた「復興市」を2週間遅れの10月22日(土)・23日(日)に開催することが決定。9月に予定されていた宮古全体の秋祭りや盛岡さんさ踊り、仙台すずめ踊り、秋田竿灯などが披露される東北六魂祭など5イベントと共催するという。皆さま、花香る不屈の枯れない散策路、宮古へぜひおよれんせ!

posted by machi at 12:45| Comment(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月23日

第1544夜:不屈の花【宮古(岩手)】(前編)

 台風10号。2016年8月30日頃、北海道や岩手県に甚大な被害をもたらした激甚災害である。特に岩手県の岩泉町の集落孤立や亡くなられた方が居られたことも記憶に新しい。その数日前、三陸宮古で私は商店主らと連夜鯨飲していた。

 台風10号が岩手県を襲っている頃、私は北九州小倉で呑んでいた。何となく台風が東北を襲っていることは知っていたが、小倉は平和そのものだ。

22時過ぎ。私の携帯が震えた。宮古市中央通商店街S本姐さんからのメールだった。何だろう?開いてみて、目を剥いた。

「またしても広範囲で商店街、浸水中!我が家もまたダメです。報告まで。携帯充電きびしいです。」

 一気に酔いが冷めた。えっ?そんなにひどいのか。翌朝早く、末広町商店街O田氏に連絡を取った。氏から送られてきた画像を見て絶句した。水没しているではないか。

 関係各方面に連絡を取り続けた。何とか被害を免れた末広町商店街S香親分や市役所担当職員からの連絡を受け、想像以上に被害に驚いたというより、戸惑った。幸い大きなけが人や亡くなられた方はいなかったので、逆に報道されることがない。岩泉町の随時速報は全国ニュースで流れるが、宮古の情報が全く入ってこない。

 宮古と盛岡を結ぶ唯一の大動脈・約100qの国道106号線は道路が崩落して不通。JRはその数か月も前から車両脱線事故をブルーシートで放置したままで再開させようという雰囲気が1oも伝わってこない。三陸鉄道も不通区間が発生し、陸の孤島状態だ。

 私が大津波以降5年と3か月、復旧復興のお手伝いを仰せつかっている中心部の商店街。大津波でもより被害の大きかった中央通商店街は1m以上浸水しているという。末広町も3分の2以上は浸水。メールや連絡のやりとりでは、5年前に逆戻りした雰囲気だ。

 大津波からようやく再起したはずが、今度は台風で再び浸水。新しく入れ替えた什器備品や車両も再び使えなくなった。伝え聞くと、大津波の時以上に商業者の気落ちが激しいという。

 日々メールや電話でやり取りする。何も出来ぬもどかしさ。私は日々全国を飛び回りながらも常に気に揉んでいた。そんな中9月2日、北九州市若松区で「わいわい大縁日」が開催された。

 大津波以降、北九州若松と宮古の商店街は交流が生まれた。毎年宮古の商店街から歳末大売り出しの賞品を仕入れて下さっている若松商店街若松商業高校様が募金活動を展開して下さった。その様子は地元紙に大きく取り上げていただいた。気落ちしていた私に活が入った。

 台風災害から約2週間後、国道106号線が片側相互通行なので時間が読めぬため、私は青森県八戸市からJRで「あまちゃん」の舞台・久慈まで移動し、三陸鉄道で宮古入りを目指した。

 三陸復興のシンボル・三陸鉄道も今回の台風で一部区間通行止めになっていたが、私が乗車した2週間後にはとっくに復旧。ダイヤも乱れず予定通りだ。〔次夜後編〕

160923台風10号(末広町浸水).jpg
水没した末広町商店街(撮影:スポーツオールスO田ジュニア氏)。

160923台風10号(国道106).jpg
崩落した唯一無二の大動脈・国道106号(撮影:G&B佐K親分)。

160923台風10号(若商募金).jpg
北九州市若松区の商店街様&若松商業高校様より宮古へ暖かいエールが。
posted by machi at 07:18| Comment(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月22日

第1543夜:80〜90年代ロッカバラード【宮古(岩手)】

 <めがくれよん>。宮古市末広町商店街に屹立する、数少ない宮古の娯楽を支えるおとぎの城である。大津波前はたしか<くれよん>という屋号だったか。津波被害で長らく休業されていた際、街の噂では「食品スーパーが来るんでねえべか?」と期待を集めていた。フタを開けてみると`めが´が付いてパワーアップ再開。思わず笑ってしまった。

 <めがくれよん>さんがある末広町商店街は2016年初夏、20年ぶりに大きな組織再編があった。理事長は髭面の熊のごとき大男からビール大好きで上品だけど`オトコ前´気質に溢れた女性に変わった。理事も若返った。

 ある夏役員勉強会を終えた21時半。新理事長のK子社長と若手理事のY下氏&O田氏の4人で居酒屋へ。2時間弱呑み喰い談笑。K子社長はお金を多めに払って颯爽とオトコマエに中座し、アラフォー若手オヤジ3人でスナック<myフレンド>へ。ところが閉まっている。その夜は会議前に指のように太い雨が凄まじい勢いで地面を叩いていたので、早々と店じまいしたようだ。

 さて、どこに行こうか。誰からともなく<めがくれよん>の名前が飛び出した。私は宮古に5年半足を運んでいるが、めがくれ童貞だった。呑み放題ルールも頼もしい限りだ。世代が近い3人。普段の商店街のオヤジ様方と一緒では気が引ける唄も思う存分熱唱できるかもしれない。速足で歩を進め、店内にダイブした。

 O田氏が会員証を持っていたのでスムーズ。セルフサービスだが、アルコールもソフトドリンクも呑み放題。3時間コースにしたが、一人2000円もしなかった。素晴らしいコスパだ。

 ボ●イ、永●ゃん、サ●ン……。我が青春の80年代後半から90年代後半までのロック&バラードを休むことなく3人で交互に大声で熱唱する。生ビール、ハイボール、カチワリ赤ワインを私は鯨飲。ドリンクバーに運ぶ足も千鳥気味だ。

 あっという間に3時間経過。夜中2時。唄い足りない、少しだけ呑み足りない気分だったが翌朝帰神せねばならない。ちなみに3時間パックの次のコースはたしか8か9時間パックだった。定宿が満室の際は`ホテルめがくれよん´にお世話になろうか。禁断の`太田旅館´は至れり尽くせりで大感動だが、それに甘えるわけにはいかない。

 熱唱鯨飲の途中、末広町青年商業研究会に所属する若手が宮古美人(彼女?)と二人だけで入店したのが見えた。冷やかしてやろうと偶然を装って突撃する。しかし、それほど慌てる様子もなく妙に堂々としている様子にオッサン3人はコメカミが震えてしまう。宮古でデートしようとすれば、必ず誰か知り合いに出くわすことを覚悟せねばならない。

160922めがくれよん@宮古@.jpg
ノリノリ80代ロックを熱唱中。

160922めがくれよん@宮古A.jpg
アルコールはセルフで呑み放題。

160922めがくれよん@宮古B.jpg
宮古の娯楽の殿堂(かもしれない)。

(付記)
夜中2時までカラオケボックスを満喫した4日後、このお店も含めて商店街は台風10号被害で水没。同行のスポーツ用品店O田氏は何日間の休業の後、気合一発早期営業再開できたようだが、理容師のY下氏はイスが全部ダメになり苦闘を強いられている。台風10号が我が愛する宮古を蹂躙している時、北九州小倉で私は酒を呑んでいた。メールに一方が入った時、これほど被害が大きいとは夢にも思わなかった。数日前に夜中2時まで一緒に楽しく鯨飲していた皆さんの顔を思い浮かべると、自分の無力さを嫌というほど痛感させられた。
posted by machi at 11:49| Comment(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月20日

第1542夜:三色パスタにエールを込めて【宮古(岩手)】

 イタリアン。私がめったに足を踏み入れることなきカジュアルなイメージなのに敷居の高さも感じさせる、思わず気後れする料理である。

 私の知るイタリア料理といえば、スパゲティ(ナポリタンとミートソース)、ピザぐらいか。パエリアはイタリア料理だったか?要するに、知らないのである。

 オッサン同士でイタリアンに足を運ぶことは極めて少なく、ハレー彗星が地球に衝突する確率で女性と2人きりで御食事をさせていただく機会を得た際も、先方から強力なリクエストがない限り居酒屋、立ち呑み、焼肉、焼鶏、鉄板こなもん、大衆中華。ごく稀に寿司。

 神戸市内には星の数ほどイタリアン店がありそうだが、今まで眼中にすら入ってこなかった。これが三陸宮古なら尚更。そもそもイタリアンなど見かけたことがなかった。

 私にとっての`宮古イタリアン´は中央通商店街の喫茶店<たかしち>さんのスパゲティ(ナポリタンやカツスパ)、定宿ホテルすぐそば<エル・アミーゴ>さんのミックスピザ。この二択である。しかし二択と侮るなかれ。超絶無比の旨さである。

 あるゲリラ豪雨が降り注いだ三陸宮古の夏の夜21時過ぎ。中央通商店街の紳士淑女と勉強会終了後、私にとっては珍しく`お初´となる店へ歩を進めた。1年前にオープンしたという<LUPO D‘ORO>さん。看板に「ITALIA BAR」とある。まさか宮古にイタリアンが誕生したとは…。畏怖していると、商店街ではないが別のお店もあるとお聞きした。失礼しました。

 レーベンブロイの生が小ぶりサイズだが妙に旨い。談笑の息もつかせぬ軽快なペースでどんどんイタリアンがトレビアンに運ばれてくる。

 トマトとチーズか豆腐かよく分からないものを挟んだサラダ、何かの魚の刺身にオリーブオイルを垂らした料理。初めて口にしたが、目先が変わって面白い。新鮮な驚きである。海老の天ぷら(後からお聞きしたがフリッターというらしい)に野菜の甘酢あんかけをぶっかけた料理は絶品。ビールとの相性も壮絶華美。

 皆でビールからワインフルボトルに切り替えクイクイ杯を開けていく。極厚のピザが運ばれてきた。完璧なビジュアルである。被りつく。……。チーズのコクと伸び、記事とのバランス、ビジュアルに負けない味である。昔は薄生地クリスピータイプが好みだったが、40オーバーになってから何故か分厚い生地の方を好むようになった。普通はどうなのだろうか。

 3種類のパスタが運ばれてきた。朱色、漆黒、黄緑。朱はトマトソース系で蟹の甲羅が乗っている。漆黒はイカスミ。黄緑は何かの野菜だろうか。トマトもたっぷりだ。

 ナポリタンとミートソース以外口にすることのない(自宅で茹でたてにマヨネーズとバターと醤油をたっぷり垂らしてグチャグチャに混ぜて啜り込む`シーナスパゲティ´は学生時代から大好物)が、口に運ぶ。……。どれも個性的である。味のエッジも立っている。そして、旨い。きしめんのような平打麺である。ソースがたっぷり絡む。イカスミでお歯黒に。

 面倒くさいので1枚の皿を私は使い続けた。純白だった皿というキャンパスが朱・黒・緑の油絵具で塗り重ねられていく。超前衛印象派絵画が浮かび上がる。少しも美しくなかったが。

 イタリアンバーに足を運んだ頃頃、たしかイタリアの観光都市が大地震に襲われた。パスタを食べて応援しようという動きをネットか何かで観た。神戸からイタリアは三陸宮古より遥かに遠いが、大津波の被災地からイタリアへパスタを啜りながら心の中でエールを送った。

160920宮古イタリアン@.jpg
セコ蟹トマトクリームソーススパゲティ(たぶん)。

160920宮古イタリアンA.jpg
イカスミのスパゲティ。

160920宮古イタリアンB.jpg
サラダっぽいスパゲティ。

160920宮古イタリアンC.jpg
カプレーゼというらしい。

160920宮古イタリアンD.jpg
このフリッター、ビールに最強。

160920宮古イタリアンE.jpg
食べ応え満点の極上ピザ。

160920宮古イタリアンF.jpg
女性もオヤジも大満足。ぜひ足をお運びあれ。

(付記)
イタリアンバーでパスタを啜った6日後。北海道や岩手などを蹂躙した台風10号は今回ご紹介したお店も直撃。それから約2週間後に再訪。店内もかなり水が入ったようだが何とか再開できたとのこと。これからも旨いイタリアンで宮古市民に笑顔にしていただきたいです。

posted by machi at 07:51| Comment(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする