陸前高田をはじめ三陸の今まで以上の新生を祈念しつつ、盛岡駅から宮古駅へ向かうJR山田線車内(快速リアス号)で頬張った。アルコール抜きの駅弁は久々である。なぜなら、2か月ぶりの宮古到着後、間髪入れず会議があるからだ。
2015年4月上旬。2011年から足かけ4年に渡り三陸宮古の商店街復旧再興のお手伝いを仰せつかってきた私だが、当初1年の予定が2年、3年となり、4年目を終えたところで非力な私ではこれ以上お手伝いできることが見当たらなかった。
復興市や時間に余裕が出来た時、プライベートで宮古ラーメンや絶品海の幸などをなじみの店で4年間の間に生まれた多くの仲間たちと酒を酌み交わせたらと夢想していた。それがわずか2か月で「ただいま〜」と`帰って´こられるとは全く思わなかった。
旧知の皆さま方と顔を合わせる。2か月は短いようで長い。弊社の従業員など半年以上顔を見ていない者もいる。宮古には月1、2回の頻度で足を運んでいたので、2か月は2年分ぐらいの感覚だった。ところが宮古駅で降りて商店街に足を踏み入れた瞬間、懐かしさというより寛げる自宅に帰ってきた気分になった。
末広町商店街や市役所の皆さま方たちと中央通商店街の事務所をお借りして打合せした後、ホテルにチェックイン。これまで200泊ほどお世話になっている<宮古セントラルホテル熊安>。フロントの皆さまも暖かい笑顔で「おかえりなさい」という風情で迎えて下さる。
その日は超巨大かき揚げが絶品かつ有名な<川俣>さんで生の後に焼酎2本を6人で空けた後、宮古で最も通ったスナック<myフレンド>へ5人で。商店街組合員でない酔っ払いの常連客も「おっ、久しぶり。おかえり〜」と呂律の回らない酔眼で握手を求めて来られる。
アヅマハイボール(超濃い目)で乾杯しつつ、ママが煮しめや巨大めかぶ、全く味付けしていない剥いただけの鮮度抜群「海鞘(ほや)」を出して下さる。私は鮮度の良い海鞘が大好物。口に含み、ハイボールを流し込むと口の中で不思議なことに甘さがグッと増す。ママや皆さんと談笑していると、あっという間に夜中1時。心地よい鯨飲である。
宮古での5シーズン目が始まった。生まれも育ちも神戸新長田の私だが、前職の新長田復興の仕事から離れて6年目のシーズンに突入した。一発目の実質的なお手伝いが2015年6月13日から2日間開催される「宮古街なか復興市2015初夏」。今年は宮古港開港400年という節目の年。例年以上にグレードアップしている(と思われる)。
セニョール&セニョリータ、復興市を楽しみに、そして今の宮古の元気を目の当たりにしていただきたく、陸中宮古へおよれんせ。

一両編成・快速リアス号に乗って。

車中で陸前高田復興祈念駅弁「たかだのゆめ」。

宮古市繁華街<川俣>さんで超巨大絶品かき揚げ。