2015年01月31日

第1142夜:恋と郷愁の北24条【札幌(神戸)】

 <赤ひげ>。我が大学4年間で部活の連中と毎日のように深夜まで入り浸っていた、最も通った居酒屋である。学生御用達なので、とにかく量が多くて安い。いつも甲類焼酎のボトルを入れ、水で薄めてライムの原液を少し加える。ひたすらこれを呑み続けた。2000円以上払った記憶もない。たしか、札幌市北区・北22条西5丁目あたりだったと記憶する。

 札幌市営地下鉄南北線・北24条駅。この駅から南へ下った北18条エリアまでが我が日常の拠点だった。大学構内の原生林の奥にある学生寮に住んでいたが、シャバに出るとススキノを除くと北24条駅から南へ下った北18条駅エリアまでが我が生活テリトリーだった。

 1998年に大学を出た後、年に1回は札幌に足を運んでいた。それでも懐かしの北24条方面までは足を運ぶ余裕があまりなく、すっかり遠のいていた。

 2014年の札幌での師走。少し時間に余裕が生まれた私は、久々に北24条駅から地上に出た。当時と変わらぬバスセンターが視界に飛び込んできた。懐かしさが込み上げてきた。

 私がこのあたりで当時よく通っていたメシ屋さんは<悟空><宝来><ラーメン大将>など。中華系ばかりだが、大盛りメシが何よりも心強かった。他にも味はともかく安くてボリューム満点の店が多々屹立していた。

 <蓬莱>と<大将>の看板が見えた。学生時代の味が蘇る。あれから15年以上。四十路の今となっては完食できないだろうし、味覚も変わっているだろう。しかし、今も変わらず貧乏学生の空腹を満たし続けているはずだ。

 前述の<赤ひげ>は数年前に店を畳んだとという風のウワサを聞いた。何となく店の前に足を伸ばしてみると、真紅の赤看板は見当たらなかったが小さく店名が残されている。もしかすると、復活したのだろうか。日中だったので確認できなかったが、この店が一番思い出深い。家族ぐるみの付き合いをしていただいた。自宅にも何度も招いていただいた。

 北18条から私が4年間通った学び舎に入る。札幌駅前から北18条まで伸びる広大すぎる敷地。誇張ではなく真冬に寮に戻る途中、何度も遭難しそうになった。

 ツルツルのアイスバーンの歩道を歩く。雪道から遠ざかっているため、すっかりヨチヨチ歩きに。旧教養部から原生林を抜けながら西へ向かうと、体育会系グラウンドやトレセンがある。さらにその奥に、私がお世話になった恵迪寮がある。

 吹雪の中、恵迪へ向かう。途中、雪道をモノともしない自転車の大学生と数多くすれ違う。一般的に垢抜けているのが一般の体育会学生、垢抜けていないのが寮生と区別される。最近の寮生もお洒落になっているかと思いきや、そうでもなかった。伝統は健在のようだ。

 寮生生活のエピソードは羊の数より多いかもしれぬが、多方面に迷惑がかかる恐れがあるので触れられない。私の青春が詰め込まれた愛と哀しみの北18〜24条エリア。熱いモノが込み上げてきた。ノスタルジーに懐かしむ。すっかりオヤジになった証拠でもある。

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懐かしの北24条界隈。

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部活していたころ毎夜のごとく入り浸っていた<赤ひげ>エリア。

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変わらぬ恵迪寮。

(付記)
2015年1月下旬、N●Kドキュメンタリーで恵迪寮が特集されていた。公衆電話が取り外されたこと、当時ほとんど見かけなかったノートパソコンが多数溢れていたこと、女子寮生が4分の1を占めるようになったことなど除けば、使われていた用語も寮生の雰囲気も汚さも20年前のそれほど変わりなさそうだ。「ボストンベイク」のコンテナを見た時笑ってしまった。しかし、恵迪寮がTVを、それもN●K撮影を受け入れるというのは考えられなかった。隔世の感がある。
posted by machi at 08:57| Comment(2) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月29日

第1141夜:黄色いシアワセのハンカチ【飯塚(福岡)】

 『幸福の黄色いハンカチ』。2014年の暮れに亡くなられた日本映画界の至宝・健さん主演のロードムービーである。観たことない方でも、黄色いハンカチが青空にはためくラストシーンだけは映画史に残る名シーンとして記憶しているだろう。この作品を健さんが亡くなるまで見たことがなかった私がまさにそうだった。

 健さんが亡くなられてから、地上波やBSで過去の主演作品がどんどん放映。私が観了済だった健さん映画では遺作となったロードムービー『あなたへ』、十数年前札幌の映画館で観た『鉄道員』、全くチョンマゲが似合っていなかった『四十七人の刺客』の3作品。

 『幸福の黄色いハンカチ』を録画した私は、真夜中にバーボンをラッパ呑みしながら不器用に観賞した。余談だが、たまに私は「不器用ですから…」とゴルゴばりの表情でつぶやくと、「器用ですよね」と返されてしまう。

 網走刑務所を出所した健さんは、真っ先に市内の中華食堂へ。震える手で瓶ビールを注いで呑み、ラーメンを前に絶句。後、一気に熊啜。このシーンに心震えた。私も6年間ビールが飲めなければ、それを前にした瞬間泣き出すかもしれない。麺の啜りっぷりは、一日一麺同盟の名誉総統に推挙したいほどの見事さだ。

 途中、道内ドライブ中のカップル?(武●鉄矢氏と桃井か●り氏)と合流。40年ほど前の作品なので、衰退を余儀なくされてしまった道内各都市が賑やかであるシーンに隔世の感がある。私が大学時代に経営破たんした「たくぎん(北海道拓殖銀行)」が至る所で映っていた。

 途中、怪演が光る武●氏に出身を問われ、健さんは「飯塚だ」と即答。飯塚とは、私は毎月のようにお世話になっている炭鉱の町として栄えた福岡県飯塚市。作品中で健さんは夕張の炭鉱夫という設定だったが、製作者の細かいこだわりが感じられる。しかし、九州にゆかり無き一般の視聴者は不器用に「飯塚だ」とだけ答えられても「どこや?」と思うかもしれぬ。

 現実世界の健さんは北九州市八幡西区に隣接する福岡県中間市出身。高校は北九州市折尾地区の東筑高校ご卒業。私にとって「東筑」といえば、折尾に本社を構える日本屈指の有名駅弁「かしわめし」の調整元である東筑軒様。駅ホームの「かしわうどん」も絶品だ。北九州折尾にも毎月のようにお世話になっており、健さんが妙に身近に感じられた。

 折尾の堀川沿いに、健さんが亡くなられた後、追悼の意を込めて黄色いハンカチが棚引いていたという。私は残念ながらその風景を見ていないが、さぞ壮観だったことだろう。

 作品中、妻がいまだ独り身で待ってくれているならば黄色いハンカチを家の外に掲げてほしい手紙を出していた健さん。それを確かめに行くラストシーンがクライマックスである。

 健さんが他界されてから約1か月。『幸福の黄色いハンカチ』の主人公(健さん)の出身地である福岡県飯塚市にひと月ぶりに訪れた。中心市街地商店街のアーケードの下に、黄色いハンカチが棚引いている。私も少しだけ健さん気分を味わえた。ただし待っていたのは、恋女房ではなくド酒呑みの商店街旦那衆たちだったけど。

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黄色いハンカチが棚引く夜遅く。
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2015年01月28日

第1140夜:羽根つき餃子の飛翔【小倉(北九州)】

 羽根。鳥類に無くてはならぬ器官(たぶん)である。羽根のない鳥は鳥と呼べそうにない。世界広しといえども、羽根の生えた人間にお会いしたことも見聞きしたこともない。羽根の付いた料理も見たことがない。餃子を除いては。

 餃子自慢の中華系料理店では、パリパリの羽根が大空を舞うがごとく餃子の翼を広げている。餃子をフライパンで焼き、フタをする前に水か湯を注いで蒸す工程が欠かせぬが、その水やらお湯に小麦粉のような粉を足すと羽根が生えるらしい。自宅で何度試みても成功した試しがない。何かプロのコツがあるのだろう。

 私の愛する料理ベスト3から餃子は陥落したことがない。<餃子の●将>は私にとって産湯のごとき絶対的な存在。神戸三宮<愛愛>の台湾餃子もこよなく愛している。基本的に餃子に外れなし。食えないほど不味い餃子に出くわす方が難しいかもしれない。個人的には一口サイズよりも大ぶりサイズを好んでいる。

 北九州小倉は餃子の名店が多いような気がする。<鉄なべ>餃子は定番だし、黄金地区<もへじ>さんの様々な種類の焼餃子は私のココロを振るわせる。餃子もそれ以外も酒類も格安なのでいつも大賑わい。入れないことも頻繁である。

 ある秋の小倉15時前。朝から何も腹に入れていなかった私は、ホテル近くの<蘭一>さんに滑り込んだ。15時で昼営業がいったん終わるようだったのでギリギリだ。名物らしき13種類以上のハーブをブレンドしたという「薬膳らーめん」を召喚。様々な効能の中で`呑み過ぎ方の元気回復と二日酔い´にという文言に惹かれる。

 ランチタイムサービスの中で、プラス150円で餃子4ヶが追加できるという。ラーメンだけでは物足りぬ気がしたので、何気なく餃子を追加した。薬膳の海に肝臓を喜ばせていると、餃子が運ばれてきた。私は、思わず唸った。見事なハネである。肉汁たっぷりのプリプリで完全な私好み。サイドメニューと侮っていた自分の不明と至らなさを恥じた。

 その夜。黄金地区の中華料理店<祥天楼>さんへ黄金町商店街&商工会議所、市の皆さま方と勉強会終わりの懇親会へ。干豆腐というアテが絶品。餃子が運ばれてきた。

 見事すぎる円盤型の羽根である。サクッと箸で割りながら、タレを付けて口に運ぶ。……。私の口から、羽根が生えてきた。思わず天(天井)を見上げ、微笑する。サクッとして、プリッとして、ジュワーっと肉汁の洪水に。生ビールですかさず追いかける。私は、飛翔した。

 食べて呑んで大満足の後、お店のサービスとして自家製ウィンナーロールを2ヶをお土産に。私は嬉しさのあまり、再度心が羽ばたいた。

 小倉繁華街のもつ鍋屋<徳川>さんの羽根パリパリ焼餃子も笑顔を約束させる。小倉で出会う餃子は、高頻度で羽根が生え進化している模様。羽根のない店の実力も底堅い。餃子と生ビールがあれば、私はいつでも飛翔できる。太りすぎているので、飛翔は気持ちだけだけど。

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<蘭一>さまの作品。

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<祥天桜>さまの作品。

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<徳川>さまの作品。
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2015年01月27日

第1139夜:ワカモノ×ヨソモノ×ウーマン×?【小倉(北九州)】

 わかもの×ヨソモノ×女性。椛S国商店街支援センター様や北九州商工会議所様などが主催する「商店街フォーラムin九州」のメインテーマである。定員は120名だったそうだが、それを大幅に上回る申し込みが殺到。このテのフォーラムは行政や会議所関係者が7割から9割を占めるが、今回は商店主が7割を占めたという。関係者の粉骨に頭が下がる思いだ。

 2014年11月25日午後、<ステーションホテル小倉>は九州全域のみならず日本中の商店街・まちづくり関係者の熱気に包まれた。たっぷり4時間、大充実の内容で眠気など全く襲ってこなかった。質疑応答の際も全く時間が足りないほどだ。

 オープニング講演は常に最新の国のトレンドを発信し続けて下さる全国商店街支援センター社長様。「イベントは平常時の防災訓練」「一過性の補助でも、無いよりマシ」という至言に心が震える。続いて基調講演は私も旧知の大分県竹田市N田副市長。テーマは「ヨソモノのアプローチとわかものの育成」。流暢かつウィットに富んだ話術で会場のココロをギュっと鷲掴み。

 ここからが実践者登壇。`下北沢大学´事業が要注目の東京都世田谷区「しもきた商店街(振)」理事長様(わかもの)、様々なプロジェクトを同時に仕掛けられている宮崎県高鍋町「高鍋町まちなか商業活性化協議会」会長様(わかもの)、ナイトバザールで著名な「みやのかわ商店街(振)専務理事様(わかもの)。若き情熱と覚悟が迸り、こちらも気持ちが高ぶってくる。

 ヨソモノ代表として地元北九州の「且}光なつかしい未来」石B社長。私も平素よりお世話になっている。乗り合いタクシー事業は全国トップクラスの好事例で、私も試乗させていただいたことがある。数々の修羅場を乗り越えてこられた石B節が会場で炸裂している。

 女性代表は我が前職・神戸新長田時代にもお世話になった、一店逸品やランドオーナー会で知られる静岡県最強の商店街「(振)静岡呉服町名店街」事務局長T島女史。日本の商店街女性事務局長の中では、私が知る限り他の追従を許さないトップランナー。めったに御講演されない姐さんを天岩戸から引っ張り出した商店街支援センター様の寝技力に思わず舌を巻いた。

 前述5氏がパネラー、竹田市N田副市長がコーディネーターを務めるパネルディスカッション。時間がいくらあっても足りない雰囲気。N田副市長の脱力感あふれる呑み屋の宴会のごとき進行ぶりに、円熟の境地を感じさせた。

 まちづくりには「ウーマン(女性)」は不可欠だが、一般的には「ヨソモノ・ワカモノ」に加えて「バカモノ」が3点セットとして知れ渡っている。今回のテーマに「バカモノ」が抜けている。語呂的にも少々座りが悪い。

 こんなことをボンヤリ考えていると、北九州代表の石Bオヤジが見事なプレゼンテーション終了後、席に戻る途中に舞台から足を踏み外して転落。会場大爆笑。おやおや、こんな仕込みが施されていたとは。

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聴きごたえ満点。
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2015年01月26日

第1138夜:禁断になるかもしれない果実【小倉(北九州)】

 レバ刺。牛や鶏の哺乳類系もあれば、カワハギやアンコウなど魚類系もある。共通していることは、ただ一つ。レバ刺愛好家にすれば、何はともあれ「旨い」ということである。昔からフグの肝を食べてあの世へ旅立った方々が数は減れども後を絶たないことでも知られている(加熱されているが)。まさに、禁断の果実である。

 庶民生活への直結の有無はともかく、様々な法律や制度が折り重なるように規制と緩和を繰り返しているようである。レバ刺し好きにとっては、増税よりも悲嘆にくれる規制が発布された。「牛のレバ刺し」禁止令である。日本中のレバ刺しファンの悲鳴がコダマした。

 飲食店主が客の要望に断わりきれず提供し、誰かが通報したのか逮捕されたというニュースを目に耳にした時、激しく同情した。まさに「殉職」である。

 牛レバ刺しが禁止された直後、三陸の居酒屋で「レバ刺し」がメニューにあった。三陸にまで規制が伝わっていないのだろうか。鼻息荒く注文すると、見た目は似ているが微妙に違う。

 口に運ぶ。……。確かにレバ刺しだが、どこか違う。クセと苦みがある。店主に聞くと、なんと「豚のレバ刺し」だった。豚は規制対象外という(当時)。牛より豚の方が生食は危険なのではなかろうか。そもそも、豚を生で食べることを想定していないということか。

 ある晩秋の夜。北九州の台所・旦過市場の若旦那衆やそのサポート軍団と勉強会の後に11人でもつ鍋屋<徳川>さんへ向かう。思いっきり葵の御紋が施されているが、徳川家の御子孫が直営されているもつ鍋専門店なのだろうか。

 生で乾杯し、餃子や味噌仕立てのもつ鍋を注文。モツはプリプリで醤油ベースの出汁に旨みが溶けこむ。鍋に入れる明太子餃子やシメの蒸し麺(戸畑ちゃんぽん麺?)も絶品だった。

 絶品もつ鍋や餃子以上に異彩と煌めきを放っていたのが、レバ刺しだった。牛でも、豚でも、鶏でもない。「馬のレバ刺し」である。色鮮やかで鮮度も良さそうだ。これまで数多く馬刺し系を満喫してきたが、馬のレバ刺しは初めて。旦過の若旦那衆は「牛より絶対に馬の方が旨い!」と力説される。果たして牛の生レバ刺し上が本当に存在するのだろうか。

 大きな希望と一抹の疑念を胸に、ブツをごま油に浸して口に運ぶ。……。その刹那、白馬が天を駆けた。歯ごたえコリコリ臭みゼロ。牛をさらに上品に旨みだけを昇華させた舌触りとコク。純真にして無垢、色気と妖艶、溌剌かつ野生。私の構築してきた夜の世界が、砕けた。茫然自失。牛よりもウマかった。

 馬の生レバ刺という神と法に許された至福の果実。規制ラッシュの昨今、何かの事件をキッカケに、禁断の果実になりかねない。時は2014年11月中旬。解散総選挙が迫る。馬の生レバ刺しを断固として守る党、牛の生レバ刺し復活を公約に掲げる党に、私は一票を投じたい。

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絶品、馬のレバ刺し。
posted by machi at 06:38| Comment(0) | 福岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする