札幌市営地下鉄南北線・北24条駅。この駅から南へ下った北18条エリアまでが我が日常の拠点だった。大学構内の原生林の奥にある学生寮に住んでいたが、シャバに出るとススキノを除くと北24条駅から南へ下った北18条駅エリアまでが我が生活テリトリーだった。
1998年に大学を出た後、年に1回は札幌に足を運んでいた。それでも懐かしの北24条方面までは足を運ぶ余裕があまりなく、すっかり遠のいていた。
2014年の札幌での師走。少し時間に余裕が生まれた私は、久々に北24条駅から地上に出た。当時と変わらぬバスセンターが視界に飛び込んできた。懐かしさが込み上げてきた。
私がこのあたりで当時よく通っていたメシ屋さんは<悟空><宝来><ラーメン大将>など。中華系ばかりだが、大盛りメシが何よりも心強かった。他にも味はともかく安くてボリューム満点の店が多々屹立していた。
<蓬莱>と<大将>の看板が見えた。学生時代の味が蘇る。あれから15年以上。四十路の今となっては完食できないだろうし、味覚も変わっているだろう。しかし、今も変わらず貧乏学生の空腹を満たし続けているはずだ。
前述の<赤ひげ>は数年前に店を畳んだとという風のウワサを聞いた。何となく店の前に足を伸ばしてみると、真紅の赤看板は見当たらなかったが小さく店名が残されている。もしかすると、復活したのだろうか。日中だったので確認できなかったが、この店が一番思い出深い。家族ぐるみの付き合いをしていただいた。自宅にも何度も招いていただいた。
北18条から私が4年間通った学び舎に入る。札幌駅前から北18条まで伸びる広大すぎる敷地。誇張ではなく真冬に寮に戻る途中、何度も遭難しそうになった。
ツルツルのアイスバーンの歩道を歩く。雪道から遠ざかっているため、すっかりヨチヨチ歩きに。旧教養部から原生林を抜けながら西へ向かうと、体育会系グラウンドやトレセンがある。さらにその奥に、私がお世話になった恵迪寮がある。
吹雪の中、恵迪へ向かう。途中、雪道をモノともしない自転車の大学生と数多くすれ違う。一般的に垢抜けているのが一般の体育会学生、垢抜けていないのが寮生と区別される。最近の寮生もお洒落になっているかと思いきや、そうでもなかった。伝統は健在のようだ。
寮生生活のエピソードは羊の数より多いかもしれぬが、多方面に迷惑がかかる恐れがあるので触れられない。私の青春が詰め込まれた愛と哀しみの北18〜24条エリア。熱いモノが込み上げてきた。ノスタルジーに懐かしむ。すっかりオヤジになった証拠でもある。

懐かしの北24条界隈。

部活していたころ毎夜のごとく入り浸っていた<赤ひげ>エリア。

変わらぬ恵迪寮。
(付記)
2015年1月下旬、N●Kドキュメンタリーで恵迪寮が特集されていた。公衆電話が取り外されたこと、当時ほとんど見かけなかったノートパソコンが多数溢れていたこと、女子寮生が4分の1を占めるようになったことなど除けば、使われていた用語も寮生の雰囲気も汚さも20年前のそれほど変わりなさそうだ。「ボストンベイク」のコンテナを見た時笑ってしまった。しかし、恵迪寮がTVを、それもN●K撮影を受け入れるというのは考えられなかった。隔世の感がある。